第一章・第二話『誰が為に廻る理由』
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第一章・第二話『誰が為に廻る理由』




       弐 『錯誤』







放たれた筈の矢は、的近くの土の中に半身を埋めていた。
誰に拾われることもなく、そんな姿を見せつけてくれた。

「・・夜近が、涼・・を?―――笑えない冗談だね」

なんとか振り絞って出した声も、何かを信じたくない気持ちの方が強かった。
否定してみせる事で自信を保ってみせるも、まだ彼女の内部は酷く揺れていた。
―――この都を背負って立つ都市主は、すでに月詠と云う最上級の大和撫子を婚約者に選んで12年が経っている。
最も、妾制度などはこの時代完全に削除されているのだ、そんな真似もしまい。
それと同時に、浮気相手が涼とも考えにくかった。
しかし、葛葉が誇る隠密の呉羽の事、そんな大層な嘘などもつくとも思えない。そんな嘘をついた所で、彼にとってのメリットなど何もないからだ。
「密羽ぁ、何動揺してんのさ?」
くすくすと小悪魔的な笑みで彼女の心中に入り込む仕草を見せれば、密羽はまだ継続していたその細く厳しい瞳で弟を睨む。
「不思議な話でもないと思うんだけどねぇ。だって涼って、最強の花嫁候補にまで選ばれてたじゃん?都市主様にしてみれば―――
「だから何だっていうのさ!」
見透かしているような、自分の片割れの言動が神経を逆撫でしてくれる。
裏を返せば―――自分は決して、彼に選ばれる事がないという事実。
選ばれたのは親友の月詠であって、自分ではない。
いつも遠くから二人を見つめ見守り、時にはからかい、そしていつの頃からか淡い感情が芽生えてもおかしな話ではないだろう。それが思春期ともなれば、酷く当たり前の話とも言えるはずだ。


「アタシは、夜近と約束したんだ。夜近が必要である限り、アタシはこの力をあいつに貸すって」


―――遥か遠くに感じられる過去。
戦う事も返り血を浴びる事にも何の抵抗もなかった、小さな体と存在しなかった心。ただ戦闘兵器として扱われていた日々に、彼はその救いの手を差し出してくれた。
その時から密羽は、誓ったのだ。
自分は夜近の盾になると。
都市主としての夜近ではなく、一個人の彼を『必要』としたいと、彼の存在である限りはどんな言葉にも従おうと。
だから、隠密一族でありながらも前線に配置された彼女には最高の環境でもあった。
戦闘時には戦闘兵器として過ごした幼少時の名残が未だに残っているものの、彼はそれを一切否定したりはしない。
直せとも、改心しろとも、決して言ってはこないから彼にとってはそれが『必要』なのだろう。


「あいつが願うなら、アタシは何だってするさ」


月詠が都市主である夜近に命も体も捧げる花嫁であると同時に、密羽もその全てを彼に捧げる生き方を選んでいる。
それは、恩義故の誓いと―――彼女の中に眠る淡い恋心でもあった。










※ ※ ※









「白昼堂々、婚約者の目の前で見せ付ける真似がお前の遣り方か?」


数歩だけ前で佇むだけの妹が何も言えない様子を察し、彼が代わりに口を開けていた。
整備された芝生の上に、男と女。
下の彼女は赤い髪を地面の上に踊らせ、そのしなやかな肢体を妖艶に見せていた。
それに覆いかぶさる男は、どこか驚愕したような面持ちで乱入者の兄妹に目を奪われている。
「見たまま解釈してよくてよ」
「ち、違うんだ、これは―――っ」
「情けない男ですこと。押し倒しておいてキスの一つもできないだなんて」
「涼、これ以上誤解を招くような発言は慎めっ」
「・・・どういう、事・・・ですの・・・?」
低く木霊すような月詠の声は、酷く曇ってはいたが―――いつもの迫り来るかのような恐怖は感じなかった。逆に、男としては焦る要因を多大に含んだ色と云える。
この目の前の状況で日光が怒りを覚える必要はないのだろうが、彼もまた心中に怒りを溜めていた。
そんな日光を察したのか、立ち上がった夜近に涼が更に至近距離で迫る。

「よく見るといい男よねぇ」

その綺麗な指先で夜近の顎をなぞり、唇の距離も測るほど残ってはいない。背筋が粟立つ感覚とはこの事を云うのだろう、夜近は何も言えずにされるがままになっていく。
繊細に美しい瞳の中にはたじろぐ夜近の姿が映っているが、彼としては打開策を絞り込んでいる最中だろう。都市主とは違う、夜近個人の顔と云っていい。

「一回ぐらいなら、ヤらせてあげてもよくってよ?」
「な、何を、言ってるんだ・・っ」
「都市主様の命令は絶対ですもの。逆らう事など、できはしなくてよ。尤も、経験のない男を調教するのは嫌いではないの」

妖艶に演じる女王様は、その唇を魅力的に映した事だろう。
夜近の唇の形を人差し指でなぞり、欲求を示す。
本気か冗談か、それすらも判断できはしない。
そんな頃だろうか、外野の彼が徐に言葉を放っていた。


「いつの間にそういう関係になったのかは知らんが。お前らはTPOというものを少しは理解しろ」


未だ言葉の放てない月詠の後ろから、日光の影。
酷く冷めた表情が印象的で、いつの間にか手に抱えていた重い持ち物も地面に下ろしている。
どうやら月詠が作った重箱弁当らしいが―――この様子では持ってくるだけ無駄だったかもしれない。
「・・涼、ちゃん・・・本気で、仰ってますの・・・?」
―――どうかしらね?女に生まれたからには、女の武器は最大限に発揮すべきとは思うわね」
ようやく声を出し始めた月詠だが、その表情に後ろ髪引かれる思いで涼は僅かにその視線を逸らした。純情ゆえに拍車のかかる無垢な少女を前に、彼女自身が自身を酷く汚れて見えてしまったからだ。
「最も、アタシは体の安売りはしない主義なの。この男に抱かれるなら、アタシの価値も高くなるのではなくて?」
「健全青少年の目の前で、何さらっと爆弾発言かましてるんだ・・・」
どうにも逃げ場がないと判断したらしい夜近は、少しずつ距離を作ってはいるものの完全に頭痛を感じている。
「つ、月詠、これはだな―――
話のタイミングを見定めるのがこんなにも苦労する事だと感じた事はないだろう。様子を見ながらではあるが、その名前を口にするも―――彼女はただ悲しみと驚愕に襲われたような表情でただ婚約者の彼を見つめているだけだった。

「・・夜近様が、誰を求めようと・・・決して拒んだりしてはならぬ―――・・花嫁に在るべき姿として教わった言葉ですわ・・」
「・・・っ」
「拒んだ瞬間、ワタクシは花嫁の資格を剥奪されますの・・―――

だからこそ、彼女は必死だったのだろう。
何気ない会話でも行動でも、夜近に少しでも振り向いてもらおうと並ならぬ努力を重ねている。
それでも決して叶ってはくれない願いが、日々の日常を築いていた。


「ワタクシは、夜近様のお側にいられるだけで充分ですわ・・・。何も、望みませんから・・だから、どうか、そんな姿をお見せにならないでくださいまし・・っ」


若干5歳で勝手な将来を定められ、家柄の為にと選ばされた道。
最初はただの義務だと思っていた。
この人に嫁ぐ事が、自分であるが故の理由なのだと。
これは体(てい)のいい犠牲者なのだと被害的な思想にまで発展はしなかったものの、月詠は幼いながらに都市としての務めを自分が担っているのだと、その小さな背中には酷く重すぎる責任を負わされていることを知っていた。
自分と同い年の彼にこの身に在る全てを捧げる事が、駿河をも守る事に繋がる。そうやってこの都市は遥か過去より紡がれ、年齢同等の夢見る幸せなどは捨てるべきなのだとも考えていた。
だが、花嫁としての自覚を積み重ねていく内に、それは大きな間違いだったと気づく。
そう、自分は本心でこの方を受け入れたいと願っているのだ、と。
その事実が、自覚と確信によって理解したのはいつの事だっただろうか。
そう大して時間もかからなかったと思う。
花嫁に選ばれてからというもの毎日を常に共に過ごしてきたのだ、子供だった故に心の領域にその存在が侵入してもおかしな話ではない。
そして互いに成長を繰り返していく度に、彼女の心は不安で押し潰されそうにもなっていた。
彼は、年齢同等に相応しくその容姿も成長していくのに、何故自分は未だにこんな体なのだろう、と。幼児体型と呼ぶのが相応しいこの小さすぎる体。
彼との身長差は年々ひらいていくばかりで、今年にはその差は22センチにまで達してしまっている。
これでは、年齢相応の関係になど決して見えはしないだろう。

―――そう、悔しかったのだ。
夜近が自分以外の女性を押し倒している事もショックと言えばショックなのだが、それ以上に。
夜近と涼が、お似合いのカップルという風貌に見えてしまったのだ。
互いに容姿端麗を極めている二人だ、並んでいるだけでも手の届かない存在にも思えた。



「す、涼っ、あとは頼んだ・・っ」


月詠のその手が真剣の柄に触れた途端、夜近は青ざめる表情に一変しては前方向かって駆け出していた。月詠はただ、真剣を挿し直しただけなのだが―――
しかし、背中を見せていく夜近を追う事もせずにその場で見送っているだけだった。

「・・月詠、追わんのか?」
―――追った所で、何ができましょう?・・・夜近様が涼ちゃんを想うのは、至極当然ですもの」
「月詠ちゃん・・」

ここまでくれば、涼もギブアップ宣言を出すしかなかったのだろう。
涼にとって月詠は妹みたいな存在だ、そんな可愛がっている彼女の悲しい顔など、自分が作り出したくはない。
女王様に似つかわしくない溜息で赤い髪を一度掻き上げれば、その整った風貌は少しだけ反省していた。

「そこの角でぶつかっただけよ。慌てて走ってたみたいで、互いにバランス崩してああなってて。で、間の悪い事に月詠ちゃんが来ちゃった、ってだけよ。何も勘ぐるような事ではないわ」

―――要は。
月詠との鬼ごっこに必死に逃げていた夜近は、まさか角から人が出てくるとは思ってもいなかったのだろう。涼にしても考え事をしながら歩いており、互いに前方不注意の不始末だ。
しかしその途端、夜近の足は突然支柱をなくし―――あれだけ走ったのだ、足の神経も限界だったのだろう―――結局、ああいう格好でそれをたまたま月詠に目撃され、更に目撃者が一人増えてしまったのだ。
この時間にそれ以外の目撃者がいなかった事が唯一の幸いだろう。
無論、隠密家業の呉羽にも目撃されてはいるのだが―――
「ごめんね、月詠ちゃん。そこの馬鹿がいなければ、こんな展開にはしなかったのだけれど」
近寄っては月詠の髪を撫で、珍しく優しい笑みを投げかける。心底悪かったと思っているのだろう、涼は口調までもが優しく変化していた。
「でもね、月詠ちゃん。体育館倉庫はやめておいた方がよくてよ?あそこは埃だらけで黴(かび)臭いし、体も汚れるから。あぁ、拭くものもないし?」
何が―――とは聞くだけ無駄だろう。彼女にそういう経験があるのかはともかくとして、後ろに控えている日光がわざとらしく咳払いを放っている。
「兄様、風邪ですの?」
「い、いや・・。そ、それより、忘れ物を届けにきたのだよ」
地面に置いたまま放置していた物体――風呂敷に包まれた重箱だ――を再度抱えると、それを妹に渡す。

「これで、追えるか?」
「・・・っ、兄様―――

日光にとって、先程の夜近の体たらくぶりに怒りは然程覚えなかった。
妹を悲しませたのは結局の所、涼の意地の悪い悪戯なのだし、逃げた彼を放っておいてもいいのだがそれでは月詠の嘆く表情を拝む羽目になる。
だからこそ、成り行きとはいえその理由を作ってやっていた。
いや、本心ではあのような男を追わせる義理などないとは思っているのだが―――彼にしてみれば、別の理由がある。

「あの、涼ちゃん。お弁当、一緒に食べません?間違えていつもの量で作ってしまいましたの。夜近様を呼んできますから、風ちゃんも御一緒に」
「あら、嬉しい。じゃぁお言葉に甘えようかしら。ここで待っていればいいかしらね?」

いつもの量とは、密羽と歌麿とを合わせた4人分、という意味だ。勿論、彼らは部活動の方に行っているので合流の約束はしていない。
ただでさえ小食派の夜近だ、この重箱を二人だけでは間食できはしないだろう。
涼のその返事に気を良くしたのか、月詠はまだ若干ながらも思い詰めた瞳を残しながら、去っていった婚約者を探しに駆けていくのだった。

「・・・さて涼。少しばかり話があるのだがね」
「爺臭い説教なら御免よ」
「待つ間の時間潰しとでも思ってくれればいいさ」

―――それが、日光にとって月詠を行かせた理由だった。
二人にならなければできない話なのだろう。




「体育館倉庫の情報を与えるとは思ってもいなかったな」
「名前を出さなかっただけ有難いと思いなさい」
壁を背もたれに苦笑を起こし、煙草を取り出しては呉服の袖口からジッポが取り出された。余程使い込んでいるのか、随分と傷が目立っている。
「学園敷地内で喫煙は遠慮しなさい」
口に咥えられた煙草を指先だけで奪ってみせるが、日光は相変わらず笑みを残したままだった。
「体は汚れたが、ムードは充分あったはずだがね」
「冗談。男の情事要望に付き合ってやっただけよ」
「スリルがあっただろう?」
「警備員に鍵かけられて、朝まで出られなくなったのは確かにスリルがあったわ」
「その時は真剣を持ち歩いていなかったものでね、内側から壊す事もできなかったねぇ」
日光の唱える『スリル』の意味が違うが、それでもその会話を楽しそうに過ごすのは彼だけだ。
「あれは丁度冬だったか、寒くて抱き合って寝ただろう?」
「人間の体温は毛布よりも暖かいからよ。凍死なんて御免だっただけ」
月詠が去ってから、途端に女王様態度が復活している。
睨むような眼光、それでも会話に参加する辺りは嫌というワケではないらしい。
そんな涼の様子を見つめながら、日光はまだ手の中に収めているジッポを開けたり閉めたりと、歪な金属音だけを鳴らしていた。
「そのジッポ、いい加減捨てたらどう?」
「大切な思い出なんでね。俺が20歳の誕生日に、君がくれたプレゼントだ」
――覚えてなくてよ」
「それは残念だ」
皮肉めいた返答を受けるも、日光は至ってマイペースな態度を崩さない。この辺りは年齢が見せる余裕かもしれなかった。

「・・で?話って何よ?」
「さっきのアレは―― 一体何の真似だね?」

まったりした笑みとは打って変わり、途端に厳しい表情に変わっていた。

「見たまま、聞いたままで解釈してよくてよ」
「ほう?あいつに語った言葉は全て本心だと思っていいと?」
「嘘は嫌いなの。都市主が抱かせろと命令すれば、素直にくれてやるでしょうよ」
「そんなに安い女だとは知らなかったな」

鈍い音でジッポからは淡い炎が灯される。
ジジ と、奥の方からは小さい音が聞こえてき、その炎越しに涼を見やった。

「そんな程度の低い女なら、俺は愛さなかったよ」
「お生憎様。終わった事だわ」

か細く薄い瞳に、炎が映りこむ。彼女の赤い髪が綺麗に反映して、そこだけが異空間にすら見えた。
終わったのだと簡単に語る彼女から見て、彼はどう映っているのだろう。
「自身の価値の為に男を選ぶというのならば、俺もその程度の駒だったという訳かね?」
「・・何、怒ってるの?珍しい事もあるものだわ」
「まさか君が、今更俺を嫉妬させようなどという子供染みた真似もしまい、理由ぐらいは述べたまえ」
日光曰く、思い出の一品を掌の中に収めたまま見つめている。

「アンタはアタシを追ってくれなかったじゃない。・・だから、終わった。それだけだわ」

過去の追憶に耽るなど御免だとばかりに、涼は風に浚われるその髪を掻き上げては正面の彼を視界に納め続けていく。
いつかは恋人だった男。
いつかは幸せを共有していた男。
だがそれらの全ては、5年前のあの日に終わっている事実。


「追わせてくれなかったのは君の方だ。一方的にフッて終わりを告げて勝手に去って、選択肢すらもくれなかった」









※ ※ ※









――女の敵」


上から降ってくるのは、聞きなれた密羽の声だった。
どうやら弓道場裏口まで辿り着いてしまったらしく、弓道着姿で地面よりも数段高い手すりに身を委ねて睨まれている。
いや、睨むというよりかは呆れている表情に近いだろう。
「呉羽から聞いたよ。涼を押し倒したんだってね?」
「誤解だ」
「知ってるさ。アンタにそんな器用な事できてたまるか」
誤解が解けているように思えて、意外にもけなされている。
どっちに転んでも今日は厄日らしい。
やれやれ、とばかりに密羽を支える手すり付近の壁に凭れれば、互いに表情を拝めない角度に立つ。声だけが交差する空間だろうか、傍から見れば会話している雰囲気には見えない。
「何だと言うんだ、今日は」
「月詠との鬼ごっこはいつもの事じゃないか」
「この学園内を全速力で走り回るのが鬼ごっこか?だとしたら、子供の遊ぶ鬼ごっこは平和すぎるな」
ついでに言うと、今回は一般女生徒の犠牲まで出しているのだが。
無論、夜近はそんな事を覚えていない。
「一度ぐらいは捕まってやったらどうなのさ?そしたら月詠も納得するんじゃないの?」
「加速が増すだけだ」

恐らくはもう鬼ごっこもなくなるのだろうが――先程の月詠の言葉が、未だに心の中で彷徨っている。
都市主と、最強の花嫁。
その重い肩書きを背負うならば、当然それなりの掟や規則があるのも当たり前の話だ。
それでも幸いしているのは、普通の学校生活を過ごせているぐらいだろうか。一市民でしかない身分の者達が集う、学園。
夜近と月詠の立場を思えば、そんな場所に通えるだけでも珍しいと云えなくはないのだ。
用があれば購買部にも行くし、同年齢の同性や異性と他愛ない話だってする。体育の時間にタイムを競争したり誰が勝つかを賭けたり、年齢相応の青春だろう。

「悪くはない、んだがな」
「満たされてんならいいんじゃないの?」
「月詠はそうではないんだろうさ」

果たして彼女は、この時間を楽しんでいるのだろうか。
いや、きっと違うだろう。
彼女は『花嫁』として育てられているからこそ、自分の事はいつだって後回しで夜近の事だけしか頭にない。
大概の男なら嬉しいと喜ぶのかもしれないが、この二人の場合は特殊なケースと云えるのだろう。
そう、月詠のあの行動からして特殊以外の何物でもないのだ。

「アンタの中にさ、月詠はどれぐらいいんのさ?」
「?」
ふいに降ってくる質問を見上げれば、密羽が相変わらず興味もなさそうな顔でそこにはいる。夜近のその表情に気づいたのか、密羽が更に促していた。
「だからさ、アンタは月詠の事好きなのかって事。都市主だとか仕事だとか、それ以外のスペースに月詠がアンタの中に住んでるのかって聞いてんの」
「考えた事もないな」
奥手以上に恐ろしい鈍感だ。
最も、恋愛毎に関しては得意ではないと自負するぐらいだ、そのあっけらかんとした即答は傍から聞けば冷酷にも思えるだろう。


「・・・やっぱアンタ、女の敵」


言葉数最小限に辛口を唱えられても、夜近にその意味は理解できたはずもない。
まぁいい意味ではないのだろう、という程度しか分かっておらず、自然と出てくる苦笑は雰囲気に合わせているだけでしかなかった。










※ ※ ※











「君の生き方を咎める権利は俺にはないよ。だがね、ああいう姿を見せて欲しくはなかったのだよ」
「未練がましい男はうざいだけだわ」
「結構」

自ずとその細い手首を掴めば、油断していたらしい涼は体勢の主導権を握られてしまう。
捕まえられた反対の手で突き返そうと試みれば、それも彼の繊細な動きでかわされ、逆に両腕そのものの自由を奪われた。
この辺りはさすが武道者、と褒めるべきだろうか。
力勝負で勝てるとは思っていないらしく、その体はいつの間にか壁に固定されていた。

「抵抗してくれると思ったが」
「無駄な事はしたくない主義なのはアンタが一番知っているのではなくて?」
「どうにも君は、矛盾しているようだ。気づいているのかわざとか、今一度聞いておきたいものだよ」

過去の関係を口では否定し、それでも追い込まれれば抵抗も見せずに視線を絡ませる。
これも演技か、それともどうでもいい産物なのか。
今の二人の関係性といえば『ただの腐れ縁』というものでしかなかったが、ただの腐れ縁ならば互いに思うこともなかったはずである。

「俺に愛された誇りは、君の中にはもうないのか?」

誰にも聞かせまいと囁くような口調で、笑みは優しく駆け引きを語る。
いや、聞きたい事など腐るほどあるのが今の彼だが、その口調は過去を巻き起こす材料にしているらしかった。
女と男の関係を過ごした数年間、何度この声を聞かせただろうか。
その度に溺れていく自分は嫌いではなかった。
いや寧ろ、溺れて溶けて彷徨い、時間という束縛すらも解放した瞬間は心地よかった。

「何度言わせる気?覚えてなくてよ」
「俺は覚えているのだよ。君の感覚もその全てを、昨日の事のように覚えている」

視線を逸らしたら負けだ――そんな意地の勝負みたいに、涼は一瞬たりとも気を抜けはしなかった。
少しでも逸らそうものなら、相手に心の隙間を与えてしまう。
眠らせたままの本心を見破られてしまう。
相手は無駄に歳食ってる分話術にも長けているのだ、自爆などという真似は御免だった。
「ヤリたいなら落としてみせてはどう?」
勝負を示す厳しい瞳と、愉快に笑う口元。
「最も、ムードが欲しいのが女としての要望だけれど」
「女の武器は最大限に発揮、か?目的は何か聞いておこう」
「目的はアンタの中にあるのではなくて?過去の女に未練タラタラ、おまけに嫉妬だなんて情けない感情に振り回されてるわ。これが駿河の当主だなんて、お笑い種にしかならなくてよ」
「ふむ、そうきたか」

壁に突きやっていたままの左腕を解放し、右腕で懐から煙草を取り出す。ついでにジッポも取り出せば目の前の女王様からは非難の声が当然上がるのだが、それすらも気にせず彼は煙草に火をつけた。
一つたっぷりと紫煙を堪能し、何かを考えてはもう一度紫煙を吸い込む。
――瞬間。


「ッッ!!」


またも油断していたのだろう。予測のつかない彼の行動に、さすがの涼も否定の色を見せた。
しかし、強引に合わせられた唇はそう簡単に離れてくれず、解放された左腕で押し返そうとしても彼の右腕が腰に回されている。

「ッッ・・!!」

もがけばもがく程、体を密着させられる。
酷く大量の煙草の紫煙が口内に入り込み、それだけで嫌悪感に満たされるというものだ。

「まだ煙草の味は嫌いのようだね」

ふいに解放されたと思えば、日光は余裕に笑みを浮かべている。
涼はといえば、咽ては咳を繰り返し、言葉もまだ紡げない。
彼女の両腕は既に解放されているが――何故かその体を両腕で抱きしめられる体勢になっている。咳き込んで体に力も入らない涼を支えているのか、それともただの自己満足かは定かではないのだが。

「これ以上俺を落胆させてくれるな。権力に成り下がって安い女になった君など、俺は愛すつもりはない」
「けほっ・・!・・っ、誰が、よ・・!」
「あぁ、すまないね。煙を少し入れすぎたようだ」
「少しは、加減しなさい・・っ・・」
「久々だったのかい?」
――・・」

言葉に戸惑えば、それは肯定でしかなかった。
弾くようにその体を両腕で否定すれば、ようやく体は解放された。
最早、彼女には不利の状況しか残ってはいない。

「俺に勝てるとでも思ったかい?」

視線を逸らし、俯く。
口の中はまだ苦い後味が残っているものの、今更文句を言うつもりもなかった。
それを見ては日光は満足げに微笑み、先を催促する。
「・・・とことん卑怯な男ですこと」
「俺以外の男とは?」
「・・・なくてよ。アンタをフッた理由が、今のアタシよ。知っているはずでしょう?」
「そうか、久々だったのならばもう少し優しくすれば良かったな」
「キス一つで落ちる程、尻の軽い女じゃなくてよ」



過去の男は思う。
その理由がある限り、君は決して弱さに身を委ねる事はしまいと。
同時に、何かに依存する事もないのだろう、と。

過去の女は思う。
覚えてないなど、嘘なのだと。
今でも鮮明に覚えている日々の記憶は、今の自分を支えている。だが、自分の中の生き方に彼が絡み合わないと判断したからこそ、今の自分達がある。

彼は彼女のその意志を尊重しただけであって、彼に非は一つもない。



「涼、覚えておきたまえ。君がその生き方から解放された時、俺はきっと、君を手に入れようとするよ」



それまでは互いに自由の身だと。

彼は優しく笑っていた。













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夜近&月詠と日光&涼は、比較した恋愛として書いてます。
夜近&月詠は『初心と純粋な恋愛』として。
日光&涼は『大人の恋愛』として。

この比較にそれぞれの個性を出してるつもりです。

> 第一章・第二話『誰が為に廻る理由』





 

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