第一章・第二話『誰が為に廻る理由』
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都市主は気だるそうな態度で、一方の花嫁に至っては鈍感そうだったし、興味すら湧かない二人だった―――と、思い出せるからこそ言える感想でもある。
感情もなく人としての概念も存在せず、ただそこに在るだけの器―――それが密羽という名前を得た自分だった。




「お前が葛葉の隠密にして一族跡取りの密羽か?」


広大な庭が広がる縁側で、歴史ある柱を背に幼い少年は視線を合わせるでもなくそう問いかけてきた。
その手には幾枚かの書類―――恐らくは密羽に関する資料だろう。
だが両腕を拘束されて連れてこられた少女は何も答えず、その前後左右で護衛を行っている兵士が返事をした程度のものだった。
「都市主様」
「お前たちは下がれ。拘束も解いてやれ」
「ッ!!危険すぎますぞ、都市主様!」
「都爺もさがれ」
「都市主様!!」
「命令だ」
「ッ!!・・・・・・都市主様の御判断、決して得策とは思えませぬ」
「得策だろうが失策だろうが、俺が決める事だ。不服なら去って構わん」
冷淡に淡々と語るその口調に、誰もが言葉を失くす。
そして兵士は徐に密羽の拘束を解き、一礼してから都爺と共に来た道を戻っていった。
それらの気配が感じられなくなってから、夜近は再び口を開けていく。

「随分と派手な真似をしたらしいな。部隊は全滅、この試験的草案も白紙に戻ったらしい」
「・・・・・」
返事を返すでもなく庭に視線を向ければ、そこにも幼い少女が蝶々を追いかけては遊んでいた。
自分には存在しない表情で、笑顔で、楽しそうなその声で。
「ああ、月詠だ。お前も噂ぐらい耳にしているだろう、候補の中から選ばれた最強の花嫁だ」
「・・・・・」

興味があるかどうかすら分からない鋼鉄の瞳。
冷酷に尖る瞳は何を『見て』いるのか、己の意思一つすら口にはしない。
そう、一つ語った言葉があるとすれば。

「・・・・・処刑」
「うん?」
「・・・・・死に場所」
「お前を処刑はしない。残念か?」
試すような笑みと中身を探るかのような表情―――夜近の計算高い話術はこの頃から健在だったのだろう、だが密羽は眉一つ動かすことはなく、しかし受け入れるでもない。
「・・・・・意図が理解できない。頂点に君臨する奴が護衛すらも退かせて」
「そうだな、資料にはS級危険人物につき自由を拘束すべし、と書かれているな。戦果の内容は置くとしても、お前の実力は確かなものだ。欲しいと思うのは当然だな。だが甘く見てくれるなよ、密羽とやら。俺も月詠も、自分の身は自分で守れる。例えお前がここで俺に何を仕掛けてこようとな」
「・・・・だったら。・・・・・見せてもらう。そしたら、アタシは処刑される。・・・理由はそれで充分」


そこで、密羽は腰の短剣を抜いて花嫁の首を狙ったのだ。


―――ただ一言―――早く自分を殺せ、と。





「現に、お前は月詠を殺せなかった。それ以外の結末はない」
「だから約束した。生きる意味を受け入れる代わりにアンタを守るって」
密羽の右手が、紐で何十にも縛られたまま固く封印されている小刀に触れる。
「それを違えた場合は俺を殺す、だったか」
「・・・・」
それ以上の言葉を必要としないのか、密羽の声は閉ざされる。
しかし夜近は突如として名案でも思いついたのか、その場の雰囲気も無視しては密羽を視界に入れていた。
「密羽。少し協力しろ」
「?・・・・協、力?」




17




夜が明けるまであと3〜4時間といった所だろうか。
戦場から戻った兵士達は治療を受け、戦士達は一連の報告を行い、それらが全て終わった頃には深夜の3時を回っていた。
そして月詠は、変わらぬ姿のまま神門家の一室に寝かされている。
意識は戻らず、ただ平穏な呼吸で現実に戻ってはこない少女。

「民間人の保護、か。そんな嘘がよく通用したものだな」

月詠の寝かされている一室から出て襖を閉めれば、その縁側にはよく見知った彼が庭に視線を向けながら煙草を吸っていた。その足元には吸殻が数え切れないほど落ちており、余程妹の身が心配なのだろう。
だが、神門家で保護されたのは彼にとっても喜ばしい事である事は間違いない。身近な場所で妹の安否を確認できるのだから。
「密羽に協力してもらいました。警備の薄かった大黒山付近にて民間人を保護、現にその姿が確認されたのですから信じない奴もいないでしょう」
「誰もアレを月詠とは思うまい」
「意識が戻ればの話ですが、あと一時間もすれば声を失うでしょう。自我すら失うのも時間の問題です」
「解決策はないのか」
「ご存知の通り、禁呪の治療薬は非常にデリケートなものです。1日や2日で完成するものではありません。作っている間に禁呪の力が全身を襲うのは目に見えています。せいぜいできるのは、神門の力で中和させるぐらいのものですね」
「気休めにすぎんな」
「力不足で申し訳ありません」
「謝るな。貴様が謝ってどうなる問題でもない。俺の立場すらない」
不服そうに眉をしかめ、日光は吸っていた煙草を地面に潰す。
「日光殿の健康状態も非常に心配ですが」
「妹がこんな状態の時に、落ち着いていられるものか。―――夜近」
「?はい、何でしょう?」
「・・・隣に座れ」
「え?あ、はい」

日光から隣に座れなど、珍しい誘いだ。断る理由などあったはずもない、夜近はゆっくりとその隣に腰を下ろし、月夜と見慣れた庭を見渡していく。
日光の声が届くのは、その後だった。

―――・・・すまん、夜近。兄として、謝らせてくれ」
「っ!ど、どうしたのですか、日光殿らしくもない―――
「俺はな、隠蔽しようとした。貴様に知られる前に何とかしようとした。月詠が行った事実を認めた時、貴様に合わせる顔がないとまで本気で思った。だが、分かってやってくれ。妹は、月詠は、生半可な気持ちであんな馬鹿な真似をしたとは到底思えない」
「・・・ええ、存じてます。全ては俺のせいなのでしょうから」
「不器用な所は俺にそっくりだな」
「はは。俺は昔から、日光殿を模範にしてきましたからね」
「俺は、命を下に見たりはせん」
「・・ええ、でしょうね。ですが俺は」
「都市主、総指揮官、総合責任者、頂点に座る者の重圧。分かっている、お前の言い分は。駿河との関係も視野にいれた上での判断だという事もな」
「・・・・はい。どうするのが最適だったのか、今でも分かりません。貴方と鈴零が月詠の所在を知らせてくれるまで、俺は放棄していたのが事実です。それが月詠を守る最適の手段だと思った、これも事実です」

日光からの返事はなかった。
代わりに、何本目かの煙草の先端に年季を感じさせるジッポが灯され、紫煙が月夜に舞う。

「覚悟、されてますか」
「これでも現実主義だ。だが、受け入れられない事もある。お前はどうなんだ?」
「・・・・・都市主として、ならば」
「覚悟など、現実を見送ってからでも遅くはない。人間とは所詮そんなものだ」
「・・・・・・日光殿」
「最終的決断を公表するつもりか?」
婚約破棄―――いや、月詠の死がほぼ確定している以上、するもしないもないだろう。花嫁という地位にいたのだ、それに到るまでの経緯は嫌でも公表するのが筋というものである。そうなれば当然、駿河家に責任を求めなければならない、というのが常識だ。
「俺がどうかする事で責任を取れるならば幾らでも取ってやる。妹の尻拭いなど安いものだ。だが、命の責任など取りようがない」
軽率な行動が生んだ後始末。
だが、話はそれだけでは済まないのが月詠の地位と家柄だ。そして当然、花嫁一人の命と対等な価値の責任など存在するはずもない。
「・・・月詠の意識が戻ることを願っています」
「一時的なものにすぎん」
「充分存じております。ですが」
「無理をするな、夜近」
いつになく優しい口調を耳にすれば、その蒼い髪に大きな掌が乗っていた。まるで子供をあやすかのような仕草が、夜近を留まらせていく。
「お前は肩書きでしか測れない。月詠は肩書き抜きでお前を見るしかできない。ただ、それだけの事だった。他に事実はない。そして、俺の教育不足が引き金を引いた。それだけの事だ。お前が責められる要因はない」
「日光殿」
「面倒な事はこちらに回せ。大人の使い道など、それぐらいしかないのだからな」
まだ半分も吸っていない煙草を足で潰せば、日光はゆっくりと立ち上がっていく。
「もし意識が戻れば、あいつを殴ってやれ。・・・・俺は少し仮眠してくる。眠れそうもないがな」
「はい、部屋は女中達に用意させていますので場所は仕えの者に聞いてください」
「お前も適当に休め。その内胃に穴が空くぞ」

夜近の返事を聞かぬまま、日光は縁側向こうにゆっくりとした足取りで消えて行く。意気消沈したその背中を見送るのは辛かったが、月詠を誰よりも溺愛していた日光なのだ、その心中は計り知れない。だが彼は、日光は、大人としての姿勢を優先した。
夜近が幼き頃より模範としてきた日光―――嫌われていようが憎まれていようが、それでも夜近は日光を好意に思っている。
日光だけは自分を都市主として扱わず、一個人の『夜近』として扱うからこそ。だからこそ、日光と夜近の間には肩書きと云う障害がないのだろう。


「誰よりも日光殿が一番辛いでしょうに」



月詠のあの声がもう聞けないのだ、と思うと胸が痛む。
月詠と必死の鬼ごっこが酷く懐かしい。
隣でもう笑ってくれないのかと思うと、いつもいたはずの当たり前の光景が消えるのかと思うと、心が引き裂かれそうに辛く痛い。

辛さなど比べるものではなかろうが、それでも、彼女の存在感は何よりも大きいものだったと知らされる。


「っ、いた、夜近ッ!!」

どたばたと慌てて駆けてくる足音に目を向ければ、密羽と歌麿の落ち着きのない表情が目に入った。二人とも普段着に着替えていることから、報告後の風呂上りなのだろう。
勿論、戦場では冷徹だった彼女も今では普段の密羽に戻っている。
「夜近、月詠は!?」
「話したのか」
「それ以外にどう説明しろっつーんだよ?風呂場で問い詰められてよ、そん時ゃいつもの密羽に戻ってたしさ」
「お前ら、一緒に入ったのか?」
「アホか!ンなワケねーだろ!」
「浴場は繋がってるけど、脱衣所は別だろ。隣で歌麿が入ってるの分かってたから、待ち伏せして聞いただけ」
夜近からの協力要請を命令として受け取ったが、その『民間人』の詳細など何も聞かされていなかったのだろう。不思議に思うも当然だ、普段の彼女に戻ればその内容を歌麿に求めたらしかった。
「意識はまだ戻っていない。・・・・戻るとも思えんが」
「ッッ、ちょっと夜近!!どういう事さ!?」
「そのままだ。神門家が禁呪を管理しているのはお前たちも知っているだろう。その理由は、その力を畏怖恐れるが故に神門家内にて封じているのと同語だ」
「世に出てはならない存在、それは知ってる!けど、なんで月詠が!」
「お前達も知っている筈だ。月詠が自分の体型をどう思っているかをな」
「・・・ッ」

事ある度に自分の体型を悔やんでいた、自分の体型を憎んですらいた月詠の姿など容易に思い出せる。その姿は彼らにとって頻繁に見られたものであるからこそ、誰もが熟知している彼女の悩みだ。

「けどっ!今まではここまでの事しなかったじゃないのさ!なんで今更そんな強引手法に出たわけ!?禁呪における厳しい処罰とか、月詠が知らない筈ないのに!月詠の立場からすれば、最悪処刑なんだろ!?」
「その処罰以上に、月詠にとっては必要なものだった―――と考えるべきだろうな」
「自分の命を引き換えにしても、体型を変えたかったって事?なんで!!」
「夜近。今頃、口下手のお釣がきたって所かよ?」
「言葉がなかっただけさ、俺にはな」
至って冷静に言葉を返してくる夜近が気に食わないのだろう、密羽は無理矢理その胸倉を掴んでは迫る。
「アンタ!!なんでそんな落ち着いてんのさ!?月詠がこんな状態だってのに、心配の欠片も見せないってどういう事!」
「声を落とせ、密羽」
「周りが気になるから!?この期に及んで都市主の立場が大事なワケ!?」
「都爺に聞かれると困る。この事については公表するつもりはないんだ」
「・・・最っ低。今の現状よりも先の後始末を真っ先に考えてんの?月詠の事、どうとも思ってないって事?」

殴りたくとも、殴った所でこの苛立ちは解消されない―――不快感だけを際立たせたまま、密羽はその胸倉を突き飛ばすように解放する。
そして夜近は襟元を正しながらも、懐から誰もが見慣れたモノを取り出していた。静かな夜風に揺れ、数時間前にはこの同じ場所で手渡された、それを。
―――数時間前に会った時と違うのは、それが2枚揃っている事だろう。

「それ、月詠のリボンか?」
「ああ。一つは手渡されたが、もう一枚はすぐ後ろで寝ている月詠から外した」
「・・・・どういう事さ」
「勘ぐるな、密羽。単に、結界作用が働いてなかっただけだ」


リボン一枚では効果も半減。しかし、それでも魔物相手には充分な効果を発揮するだろう特殊な簡易結界の施されたリボン。
宝ヶ池で発見した時には既に結界は何らかの力により解除されており、勿論その理由こそ不明だが。
「このリボンはな、花嫁の証明であると同時に悪しき力から常に守護を受けるよう、特殊な結界陣が施されている」
リボンの表面に描かれた紋様のような文字、決して読めはしないその字が『結界』を作り出しているのだろう。

「月詠を選んだ時、俺がこの手で作った。この世に一つしか存りはしない絶対的存在だ」




18





体全ての感覚が放棄されたかのような、例えようのない解放感の中。
五感ですら奪われたかのように、ただ目に入る景色だけしか捉えられない感覚。いや、これを視界と呼ぶのか、脳裏に入り込んでくるだけなのか、誰かに見せられているだけなのか。それすらも分からない。

―――地平線すらも隠す一面の花畑。

だが、そこに立っている自分はどんな姿をしているのか分からなかった。


―――こっちだ、月詠」


声のした方に反応すれば、そこにはいつもの呉服を着用した夜近がいつの間にか立っていた。風になぜられ、蒼い髪が揺れている。
だが、この『自分』は声すらも返せず彼の姿を見るしかできないでいた。
嫌われた、会うのが怖かった。
理由としてはそんな所か。
しかし、目の前の彼は怒るでもない表情で、それどころかいつも以上に穏やかな表情を見せてくれている。

「疲れたろう、月詠」
「・・・?夜近様・・?」
「ほら、こっちに来い」

差し伸べられる手。
自分を求め差し出されるその手。
花嫁に選ばれた瞬間から、彼に求められる事を望んでいた自分。
自分だけを見て、自分だけを想って欲しいとまで願った浅はかな自分。
だが、望んだ光景が目の前に用意されても、何故かその手に向かって歩き出せない。誰よりも頼りになるその逞しい手を求め返そうと思えない。
「どうした、月詠?」
「あ、あの・・・・」
「俺が嫌いになったか?」
「ち、違いますわっ!あ、その・・・」
「だったら、こっちに来い。お前は俺が選んだ女だ、何を躊躇う事がある?」



『俺が選んだ女はお前だけなんだ、月詠。少しは信用してくれないか』



フラッシュバックだろうか、何かが頭の中で蘇った。そう、感覚の放棄されたこの世界で思い出されていく記憶が何かを与えてくる。

「もう戦わなくていいんだ、月詠。酷く疲れただろう?」
「っ?戦わなくて、いい、・・・?」
「そうだ。理不尽だと思った事はないか?何故自分達だけが戦わなくてはならないのだと。誰かに認められるワケでもない、功績をあげても英雄と崇められるワケでもない」



『俺たち戦士の存在価値は、都に生きる人々の安息を守る為に在る』



目の前で優しい言葉を語りかけてくる夜近と、記憶に蘇る夜近の姿が一致しない。
だからこそ、月詠の言葉はどこから問えばいいのか戸惑ってしまうのだろう。

「・・・それが、都市主としての生き方を選んだ夜近様の御言葉ですの?」
「月詠?」
怪訝そうな表情で、『夜近』がただ名前だけを唱える。
「ワタクシの存じている夜近様は、決して己の存在に利益など求めたり致しませんわ」
「お前の為を思って言っているんだ、月詠。花嫁と云う肩書きが窮屈なのだろう?選ばれたが故に、その立場を重んじた行動に心がけなければならない。花嫁の枠からはみ出た行動は許されない。全ては都市主という立場の男の為に存在を確立させなければならない。辛いと思った事は一度もないとでも言うのか?」
「ワタクシが辛かったのは、夜近様に振り向いてもらえなかった事ですわ。花嫁の地位を重荷に感じた事など・・!」
「ならば何故、禁呪に手を出した?」
―――ッッ!!」
「花嫁としての立場に不満を感じていないのならば、処刑覚悟の行為に出る必要もあるまい」
「それ、は・・っ」


肩書きを越えた関係が欲しかった。
肩書き以上に想っていた。
だからこそ、夜近にも応えて欲しかった。
最低限の言葉でもいい、たったの一言でもいい、何らかの形で示して欲しかった。

「こっちに来るんだ、月詠」
「ワタクシ、は・・・」
「もう戦う理由などない。命を懸けて守る必要もない。自分の命は自分の為にある、それが世の道理だ」



『俺の存在意義は、この都の為だけにしかない。この世に生を受けたその瞬間から、俺の命は俺のものではなかった』



己に課せられた重い荷物を背負わされた婚約者は、その話題になるといつも諦めたとばかりに無心で切ない表情を見せていた。
どれほど苦しんだのか、想像すら追いつかない。
どれほど己の意思を切り裂かれたのか、どれほど自分を殺してきたのか。


「・・・違いますわ」
「月詠?」
「違いますわ、貴方は夜近様ではありませんわ!貴方は誰ですの!!」
「何を言う、俺は」
「夜近様は、何よりも御自身の立場を理解し優先されますわ!都市主として生きている夜近様が、戦う理由を捨てたなどと発言される筈がありませんわ!誰かに認められたくて生きている方ではありませんの!!」
「・・・・・」
「ワタクシがお慕いしている夜近様は、そんな情けない方ではありませんわ!!そんな夜近様なら、ワタクシは好きになったりなど致しませんわ!」
「・・・・・」
差し出されていた逞しい掌が、ゆっくりとした動きで下されていく。
どこからか迷い込んでくる風は二人の髪を揺らし、夜近の蒼い髪が切なくその表情を隠した。
「現実世界にお前の求める理想がなくとも、か?」
「貴方はワタクシの我儘が生んだ姿ですわ。ワタクシが求めるのはただ一人、辛い現実を一人で生きようとする本物の夜近様だけですわ」
「応えられる事がなくともか?」
「応えられたいが為に夜近様の傍にいるワタクシではありませんわ。ワタクシは、夜近様を御守りするのが本来の務め。後世に強き命を残すのが花嫁の務め。そしてそれ以上に、夜近様を慕っているのはワタクシの本当の心。・・・それだけですわ。そこに夜近様の御意思を求めるのはただの我侭にしか過ぎませんわ」
「目の前の甘い理想はいらない、という事か?」
「貴方が本物の夜近様でしたら躊躇したでしょう。けれど、戦いの理由を放棄した夜近様に従おうとは思えませんわ。都市主の思想を捨てた夜近様は、夜近様ではありませんわ」
「・・・・」
「夜近様に選ばれて10年、ずっとあの方だけを見てきましたの。ワタクシの存じている夜近様は誰よりも強くて誰よりも悲しい方ですわ。辛い時にも辛いと言えず、悲しい時にも涙の欠片も流せず、徹底されたその肩書きに束縛された方ですの。だから、ワタクシはそんな夜近様だからこそ」
「もういい」
月詠から目を逸らすように、目の前の男は溜息をつく。
その表情はどこか照れているような、それ以上は聞きがたいとでも思っているかのような顔だ。
「そこから先は、本物の俺に言ってやれ。この俺に聞く権利はなさそうだ」
「・・・・戻れ、ますの?いえ、戻ってもワタクシの体はもう―――
「この世は何事も平等にできているものだ。いくつもの因果が重なれば奇跡が起こる事もあるだろう」
「?何を仰って―――
「俺はお前の心が生んだ存在だ。そして同様、誰の心にも俺のような存在はいる。お前の求める男にもな」

風が揺れ、その髪の奥から優しい表情が見えた気がした。
それは本物の夜近に近い優しい笑みにも似ており、それを目にした瞬間―――月詠の体は消えようとしていく。
全身が半透明になり、自分の手を見つめればその下の花畑が手と同化し―――そして最後に見たのは、そんな月詠を見送る夜近の姿だった。






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次P、本物の夜近との対面です。

過去の密羽とのやりとりはその内詳しく書きますので、ここでは伏線程度に書いてます。



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