第弐章・第4話『夜近の章・失くした記憶/覚醒の時』
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第弐章・第4話『夜近の章・失くした記憶/覚醒の時』











見えるのは、辺り一面を覆う真赤な海。
どこまでも続く赤い海。
少年の足は水面を揺らし、ただ笑む。
それはまるで血に飢えた獣のように、それはまるで快楽を得た者だけが浮かべる気色の悪い笑みのように。



※※※



それは過去でも現在でもない時空の狭間。
円陣を囲うように定位置についた彼らは皆、覚悟を決めた表情をしていた。

「こいつらとこの二人を連れ、必ずや目的を達成してきます」

蒼く長い髪を揺らす青年は、その瞳に覚悟と決心を込める。その瞳に映るのは黒い髪をなびかせる男性。
「俺達の行う術陣と時間は比例ではない。術式を行うこちらが一時間だとしてもお前たちの向う時空では一週間かもしれんし半日かもしれん。こればっかりは何日もつかすら皆無だ。だが、必ずあいつを救え。こちらも、お前たちが戻るまで術式に専念する」
「約束します。必ず変えて見せます―――過去を」

周りを見渡し、自分たちを囲う4人に頷いてみせ、青年はゆっくりと瞳を閉じていく。






7月にもなれば、夏間近の気圧が風の中に紛れ込む。
少し生暖かい感触は肌をざらつかせ、かといって春に近い陽気な気候もまだ維持している。梅雨の時期、京都は土地柄梅雨前線が今年も酷かったものだが、アレがないと夏は到来しないと人々はいう。
今年の梅雨は例年よりも若干遅かったが、それでも梅雨のあのじめじめした湿気の多い気候は未だに嫌気がさしたものである。
そして中途半端な7月。
梅雨も終わり、夏の準備が始まる島国の日本。
盆地に囲まれた京都はすでに8月間近の気圧になっており、7月に入ったばかりだというのに異常気象ではないかと怪訝した。最近では温暖化だと騒がれているが、たった1年や2年でその気圧差が激しい温暖化だと分かって堪るかと彼は思っているようだ。そんな事を言うならば南極の氷はとっくに溶けて世界は砂漠になっているはずだろうと、どこか反抗的な子供のようである。



「月詠はどこだ?」

ふいに背中を呼び止められた声に振り向けば、珍しく日光がそこにいた。
7月1日。
神門の本殿屋敷内で、時刻は夜の21時を回った辺りだろう。
庭の茂みや燈篭が雅な雰囲気を醸し出しているが、この二人が揃えばそれ以上の演出物となるに違いない。
「珍しいですね、貴方がこちらに出向いてくださるなんて」
「一秒でも早く帰りたいと願っている所だ。貴様と同じ空気など、体に悪い事この上ない」
「煙草を控えたら少しは長生きできますよ」
「貴様がいるから煙草の本数が増えるのだ。悪影響極まりない存在だな」
相変わらずの口調で毒を吐く日光は、目すらも合わしたくないのか眉間に皺が寄っている。それを一人受ける夜近にしてみれば、ただの濡れ衣なのだが今更レベルなので放っている。
「月詠でしたら、まだ稽古の途中です。そうですね、もう30分もあれば終わるんじゃないでしょうか」
「貴様の稽古はどうした」
「俺は終わりましたよ。だから、こうやってブラブラしてるワケでして」
両手を肩まで挙げて見せれば、『手持ち無沙汰で暇してます』という表情を示してみせた。
「七夕の儀には日光殿も参加して頂けるんでしょう?」
「不本意だがな。織姫役が月詠ならば、行かぬワケにはいかん」
「牽牛は俺ですが」
「日本も嘆かわしい限りだ」
やはり相変わらずである。
妹溺愛ぶりが日に日に強化しているこの日光の事、未だに月詠の相手が目の前の彼だという事に納得していない。例えそれがこの都の最高権威を持つ都市主であろうとも、関係ないらしい。
世間的に言えば、花嫁に選ばれた事も都市主に嫁ぐ事も、最上級の名誉の筈なのだが。 しかし夜近の対応も既に慣れたもので、気さくな笑いなどで誤魔化している。
都市主と花嫁という肩書きを互いに手に入れてから、既に10年以上が経っているのだ。それと同時進行で、この二人のやり取りも10年以上続いている。
食いかかる日光に対して神門の都爺や仕え達は未だに戸惑っているようだが、夜近にしてみれば今では楽しみの一つにすらなっている。
慣れとは恐ろしいものだと、その辺りは本人も自覚しているようだ。
「そうですね、もし牽牛が日光殿なら織姫は涼でしょうかね?」
「アレはただのSM女王様だ。一年に一度の逢瀬に女王様の指定は遠慮蒙(こうむ)る」


――――瞬間、二人の背後から鞭の弾かれる床の嘆きが木霊した。


・・・日光ぉ?人が聞いてないと思って、散々な評価です事・・・
「す、涼っ!?」
「あぁ、言うのを忘れてました。月詠の演じる織姫役の指導に涼があたってるんですよ。織姫役に求められるしなやかな動きは涼が適任ですからね」

――――6日後に行われる、神門内式典の一つ『七夕の儀』。大雑把に言えば七夕祭りとそう変わりはないのだが、その際に神楽舞をモチーフとした踊りがある。それが織姫と牽牛の逢瀬を表現したものだ。
その稽古の為、夜近と月詠はここ連日で毎晩踊りの指導を受けていた。
七夕(別名・棚機)と言えば、『たなばたつめ』の略が有名だろうか。
五節句の一つであるが、幼稚園児でもこの話は知っているだろう。
天の川の両岸に在る牽牛星と織女星とが一年に一度相会するという、7月7日に星を祭る年中行事だ。しかし実際の所は、中国伝来の巧奠伝(きこうでん)の風習と日本の神を待つ『たなばたつめ』の信仰が習合したものであると云われている。
それは奈良時代から行われ、江戸時代には民間にも広がったようだ。それが現在の七夕祭りであり、庭前に供物をして葉竹を立て、五色の短冊に歌や字(現代では願い事を書く方が多い)を書いて飾りつけ、書道や裁縫の上達を祈るのである。
今ではただ単純に『短冊に願い事を書いて竹の葉に吊るす』だけであるが、実際の風習とは異なっていても日本は過去から続く行事を大事にする傾向があるのだ、未だ残っているだけでも良しとするべきだろう。
多少脚色の混じった色恋ものであれど、たまには星に夢を馳せてもいいだろう。


「夜近様〜〜、夜近様〜〜〜??」
「こっちだ、月詠」

いつものマイペースな口調で自分の名前を呼ばれる事に気づけば、彼女も稽古が終わったらしい。
一つ向こうの縁側で笑顔になる少女は、すぐに パタパタ と庭沿いに続く縁側廊下を駆けていた。
そして夜近のすぐ側までくれば、少しだけ荒い息を整えながら猫のような笑顔を遠慮なく浮かべていく。
「お待たせしましたわ、夜近様」
「いや、問題ない。それよりも、面白いものを見ていた所だ」
そう言って夜近がそれとなく指差せば、そこには女王様の鞭で跪かされている日光がいた。一体何メートルの鞭かは知らないが、日光は無抵抗も悲しくグルグルに縛られ、その上から涼の体重で沈められている。
「まぁ、涼ちゃん〜〜。こっちに来てましたのね〜〜」
「ええ、このアホが女王様の鞭を受けたいって言うものだから」
「まぁ、素敵ですわ〜!なんなら、暫らくお貸ししますわ〜」
「・・つ、月詠・・・兄さんのこの状況に言葉の一つもくれないのか・・っ」
せめて慈愛の言葉や慌てた態度が欲しかったのだろうが、そうはいかないのが月詠だ。
子猫のような笑顔でサラリと爆弾発言かませるのがこの妹で、その度に日光は傷心を受け、その腹癒せに夜近に当たるのである。そしてその次に待っているのが、妹からの更なる批判だ。
「では夜近様、こんな人は放っておいて行きましょう」
「ん?あぁ」
「ちょ、待ちなさいっ!月詠っ、そんな男とどこに行くつもりだ!まさか、寝室などではあるまいな!!」
「・・・はしたないですわよ、兄様・・。勿論、夜近様が望むのでしたらワタクシはいつでもOKですけれど」
「ぶっっ!!」
それとなく自己主張を提言する月詠だが、それを聞いて咽るのはやはり夜近である。――――と同時に、前方の床付近から一際光る日光の鋭い眼光。
「つ、月詠っ、在らぬ誤解を勝手に作り上げるんじゃないっ」
「まぁ、夜近様ったら。本当の事じゃありませんか。ワタクシはいつでもお待ちしてますのに」
―――まるで真夜中の新幹線が正面から近づき始めてるように、日光の眼光は更に光り輝いた。
「お、落ち着いてくださいっ、日光殿っ。何も不謹慎な事じゃありませんから。学校行事の演目練習をこれから少し行うだけです」
「生徒会主催の七夕祭りで〜、ワタクシが織姫役で夜近様が彦星様役ですの〜。こちらは劇ですから、セリフを覚えなくてはいけませんの〜。それに、合わせ稽古の方が覚えも早くて済みますし〜」
「あぁ、なんかそんなのを学校で聞いたわ。うちの大学部でもやるけど、確か高等部はラブロマンスがテーマだったかしら?」
「・・・ラ・・ヴ・・・?」
「ええ、そりゃもう〜〜!夜近様から、愛の限りを告白されますの!!」
「・・・その辺りは月詠、お前が勝手に台本を変えたんだろうが・・・」
「生徒会の皆さんは反対されませんでしたもの」
「二刀流を抜いてその先端をかざして迫れば、誰だって反対を唱えられんだろーが」
「ついでにキスシーンも加えましたの〜」
「なにぃ!?聞いとらんぞ、そんな話は!」
「まぁ夜近様。台本をお読みになってませんの〜?そりゃぁもう、熱くて!濃厚な!キスシーンが!!」
一人勝手に盛り上がる月詠だが、言うまでもなく夜近は逃げかけている。出来る事なら、七夕祭り自体をなくしてしまいたい。
しかし、夜近のそんな心中を察するでもなく、先にキれたのはやっぱりこの男だ。
「夜近っ、貴様・・っ・・!」
「なんで俺なんですか!!」
「この刀の餌食にしてくれよう!!」
力ずくで女王様の鞭から抜け出したのも束の間、鞘から剣を抜こうとした瞬間。
「ふ。甘くてよ」
まだ完全に解かれきっていない鞭は、日光の喉をまるでアザラシの鳴き声にも似て きゅっ と絞めた。
そして再び、女王様に沈められていくのだった。
「殿中で刀を抜くのはよしなさい。頭の固い都爺にでも見られたら、監禁処分を余儀なくされてよ。―――あぁ、そうそう。ちなみに大学部の七夕劇の織姫はワタクシなんだけれど。来てくれるでしょう?」
「世も末だな。可哀想な牽牛に同情してやろう――――ぐぇっ・・」
「あらぁ、日光。老けすぎて学習能力衰えてるんじゃなくてぇ?」
首を締め付けられては逃げ道は完全になくしたも同然である。その隙にとばかりに夜近と月詠はいつの間にか姿を消しており、落胆の溜息を鞭の下で嘆いた。

「・・涼、鞭はそろそろいいだろう」

先程までのマヌケな態度は何処へやら、日光は低く冷静な声で呟いていた。それに了承したのか、涼は手の鞭を簡単に解いては再び髪の中に埋めていく。
「追いかける気じゃないでしょうね?」
「稽古の邪魔だと、月詠の怒鳴る声が聞こえてくるな」
「相変わらず、月詠ちゃんには弱いのねぇ」
「情けないのはいつもの事じゃないか」
「自覚してたのね。立派だわ」

一言多い女王様は、『一年の逢瀬を務める牽牛がコレでなくて良かったわ』と、心中ではそんな呟きを入れていた。







――――満月の夜に見たのは、大量の血だった。
地面には一面の赤い海。
そこに確認できるのは数え切れないほど転がっている骸。中には胴体をバラバラにされているものもあり、まだ幼い心には過激すぎた。

――――今日は、七夕のはずだった。
一族の皆が楽しそうに短冊に願いを書いていたのは、ほんの数時間前だ。それらを吊るし、隣の少女の願いも一緒に吊るしてあげた。
丸みを帯びた字の内容は、何だっただろうか。
大して興味もなかったので覚えていない。
それでも少女は笑っていて、自分の事を『やこんさま』と呼んでいた。

――――水を弾くより重く、まるで浅い海のように血はこの足を少しだけ埋めている。
一面が真っ赤に染まった血の海の中で――――少年は一人でそこに立っていた。
何があったのだろう。
何故、皆死んでいるのだろう。
何故、俺だけここに立っているのだろう。

周囲を見渡しても、誰もいない。
言葉通り、ここには一人だけだ。


(あぁ、そうだ・・短冊の葉竹を川に流そうとしてる最中だったはずだ・・)


俗に七夕送りと呼ばれる行事だ。
それを先導で歩く幼き都市主は、何故こんな風景を見ることになったのか――――
記憶の糸は、そこだけぽっかりと消えていた。



■□■



「ま・・・ん様・・?――――夜近様っ」


遠くから聞こえてくる自我を呼び戻す声。
それに気づいた時、彼は我に返ったように軽い眩暈を起こしていた。
「夜近様、大丈夫ですか?」
「つく・・・よみ・・?――――あぁ、すまない。通し稽古の途中だったな」
「具合が宜しくないのでしたら、保健室に参りましょうか??」
「いや、問題ない。少し考え事をしていた。悪かった」
綾小路学園高等部の敷地内に在る、特殊イベント専用の講堂だ。3階席まで設備されたスタジアムのような内部は、集客2000人を誇る。可動式の器具などもあるのだが、今は静かに放置されているようだ。
その見せ場とでも呼ぼう中央に円形のステージがあり、そこに夜近はいた。
周りを見渡せば、婚約者の彼女と生徒会メンバーと演劇部の主要面子も全員揃っている。皆が皆、その手には『七夕の愛』と印字されたタイトルの台本を携えていた。
「会長、大丈夫ですか?顔色が――――」
「問題ないと言ったろう。続けてくれ」
「は、はい」
仕切り直すように、生徒会のメンバーは台本に目を移す者や演技指導に回る者、監督のような指揮を取る者、それぞれに役割があるようだ。
それというのも生徒会主催のイベントは生徒達から酷く人気があり、この七夕祭りで行う出し物の一つであるこの恋愛演劇も同様だった。今時の高校生がこんなものに興味を示すのかと最初は思ったものだが、出演者が出演者なだけに生徒達の関心を酷く惹きつけたようである。
夜近は女生徒達から人気が酷く高いし、月詠は男子生徒から圧倒的な人気を誇る。それを知った夜近は、

『知らぬが仏とはまさにこの事だな』

と、呟いたとか。

「あぁ、彦星様・・・貴方にお会いできるこの時をお待ちしておりました―――」
スカートの裾を少し上げ、そのままの体勢でしゃがんでは祈りにも似た手を作る。
「このワタクシの住まう織女星と貴方様の牽牛星の、なんと遠い事でしょうか。思いを馳せ、遠く離れた貴方様に届きますようにと、毎晩祈っておりました」


(・・・遠い・・・そう、あれは・・遠い――――・・なん、だろう・・・)


「この海を越え、星は道を作り、眩く導きの加護によってワタクシ達はようやく出逢えたのです」


(・・海・・・そうだ、あの中に星が見えた気がする――――何かが、視界の中で光って、た・・)


「あぁ彦星様、どうかそのお声をお聞かせ下さいませぬか」

俯いた月詠の顔が、静かに夜近向かって持ち上げられた。
さすがは貴族の娘だろうか、声までもが完全に『織姫』になっており、生き写しのようにすら思えてくる。きっと当日衣装を着たら、『舞い降りた織姫』とでも呼ばれるだろう。
しかし。
「・・・??彦星、様?」
どうした事か、夜近からの声が繋がれない。
セリフを忘れたのではないだろう。
手で顔を覆い隠し、月詠の目にはうっすらと伝う汗すらも確認できた。

「――――っ、夜近様!」

慌てて駆け寄れば、夜近の重心が崩れていく。それを月詠一人で支えるのは当然無理で、彼女も一緒に崩れてしまう。
「会長っ!!?」
「騒がないでくださいまし!!すぐに保健室を空けてきて!それから神門家に迎えの車を来させるよう連絡を!!」
「み、神門家に、ですか?」
「早くしてくださいましっ!!」
突然倒れる夜近の状況からして普通ではないのだし、鬼気迫るその緊迫した彼女の声は命令に近かった。
この状況で躊躇している暇などある筈もなく、急きたてるような月詠の言葉に従っては皆その講堂から忙しなく走り去っていく。
そして中央のステージで残された月詠と夜近は、まだ彼の体を支えるようにして地面に腰を落としている月詠が心配そうな面持ちで夜近の髪を撫でる。
それと同時に、どこか心強い眼差しも瞳の中には混じっていた。

「夜近様、大丈夫ですから・・っ!」
「・・くる、しい・・・」
髪を掻きあげてやれば、額からは酷い脂汗が流れていた。
真っ青に冷えていく色はどう見ても普通ではなく、若干体の震えも確認できる。
どこが苦しいのですか――――とは聞かない。
彼女は、唯一その理由を知っているからだ。


「――――満月が、近いのですね・・」


添えるように握り締めてあげた手からは、それ以上の握力で返ってくる。
それに応えるようにして更に包み込めば、夜近の意識が次第に遠ざかっていくのを知った。





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夜近の章、突入です。


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