第弐章・第4話『夜近の章・失くした記憶/覚醒の時』
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屋敷内の腰元や都爺達は忙しなく動いていた。
それというのも、都市主である夜近が体調を崩す事は一年を通して極端に少ないからだ。風邪などならともかく、意識までも落として倒れるとなれば、『都の一大事』とまで勝手に発展させているようでもある。
――――あれから、神門の迎えの車まで運ぶ為生徒会メンバーの肩を借り、稽古も途中にそのまま神門家に直行した。
時刻にして夕方の17時すぎ。
夜にはまだ若干早いが、時期が時期だけに日が落ちるのも早い。辺りは既に暗闇を誘い始めており、夜と呼ぶのにも支障はなかった。
無論、その車には月詠も同行し、今現在も夜近の看病と称して付き添っている。
神門家内の本殿通路を渡って東殿の別館。
木々に囲まれ、少し立て付けの悪い窓からは池と池を結ぶ小島なども見えた。
周囲が静かな場所だけあって、本殿でやかましく聞こえていた仕えの者達の喧騒は欠片も聞こえてこない。夜近がこういった状況では、有難い環境でもある。
広さにして20畳程度だろうか、物が殆ど置かれてない一室の為余計に広くも感じられる。その中央に敷かれている一組の布団に、夜近が眠っていた。まだどこか魘されてはいるものの、講堂で見せた荒い呼吸も治まりかけている。
腰元の用意してくれた水タオルは1時間ほど前に枕元に用意されており、冷たい水で満たされたボールでタオルを何度絞っただろうか。
収まってはくれない汗を拭取り、その苦しむ表情を和らげる。
それでもそれは気休めにしかならず、夜近は波に逆らえないのか再び無意識の中で声を彷徨った。

「――――く、ぁ・・・っ・・・」
「苦しまないでくださいまし・・・」
「は、;あ・・っ・・!ぁ、ぁ、あ、ひ・・っ・・!」
「夜近、様・・っ・・」

無意識の最中、それとも夢の中か――――布団の中で暴れていくその体を抑え付けるようにして月詠は上から覆いかぶさった。その逞しく鍛えられた両腕は、彼の筋肉を嫌と言うほど示していくに相応しく――――小柄で華奢な体格の月詠がどうこうできるものではない。

「嫌だっ、来る、来るな・・・っ・・!」
「大丈夫ですっ、大丈夫ですから――――っ・・!」

浅はかな夢ではない。
脆く弱い意識ではない。
それでも小さな彼女はただ、大丈夫だからと――――届かない意識に向かって何度も呼びかけていく。

「夜近様は、何も悪くなどありませんわ・・っ・・」

そう言い切れる自信は、あった。
しかし暴れる腕は月詠を余裕で弾き飛ばし、攣りそうな程神経を分配する足は布団の重みの下に隠れ、それでも月詠は何度殴られようが弾かれようが、その『役目』を止めない。


(どうして・・っ、今宵は満月ではありませんのに・・!)


「――――邪魔するぞ」


気づかない足音と共に開かれた襖の向こうからは、黒く長い髪を無造作に揺らせて彼がいた。
そんな頃には夜近の波も幾分かは鎮まっていたのだが、月詠の顔に残る痕だけは刻銘に残っている。
「兄様――――?」
「なんという格好をしとるんだ、お前は。俺には夜近はお前に襲われているようにしか見えんぞ」
「ここには誰も近づけさせないよう、屋敷の方にお願いしておりましたのに」
「神門の命令など、俺には関係ない。こいつが苦しんでいる様を見てやろうと来たまでだ」
「兄様!」
「いいからそいつの体から降りろ、月詠。嫁入り前のお前が、そんなはしたない格好をするものじゃない」
ショックを隠せないのか、日光は嘆くような面持ちで溜息をつく。
それには渋々従うものの、夜近の側からは離れようとはしないのが彼女である。布団の中の彼はまだ酷い汗と呼吸を交互に繰り返しているが、呻き声はいつの間にかピタッと止んでいた。
しかし暴れた形跡は嫌と言うほど目に見え、襖を閉めて夜近を挟んで月詠の正面に座れば――――思わず月詠はその顔を逸らしてしまう。
「怪我でもしたのか」
「は、はい。その、階段から落ちましたの――――」
頬や額には酷く腫れた痣がいくつかできている。唇も切れており、苦い味がして口元を服で拭えば鮮血が染みていた。
「駿河の名前に誓って言えるのならば、もう一度言え」
「――――・・・」
「夜近の後遺症の巻き添えを喰らったか」
駿河の名前を出されては、月詠も嘘など吐けはしない。
貴族の名前の為に生きているワケではないが、名前は名誉であり、名誉は価値であり、それらは全て都市主に捧げる糧でもある故――――月詠には言葉を諦めるに充分な材料だったのだ。
そして静かな日光の問いにも言葉は出せず、ただ静かに首を頷かせていた。
それに満足したのか、それ以上の言葉を吐かせるのは辛いだろうと考慮したのか、日光は未だ苦しむ夜近向かって右手を掲げ始めていく。
「く、ぁ・・ぁ、ひ、ぁ・・・・」
「貴様がそんなでは、月詠が帰れんのだ。今夜こそは返してもらうぞ」
右の掌をその汗で濡れた額に押し付け、それは直に煌びやかな光を発現させていく。
先日、下鴨神社で見せた魔術陣の光にも似ており――――その点から言えば、この目の前で起きている現象は駿河の力だろう。それはまるで吸収されていくように夜近の体内に流れ込み、その作業が終わると今まで酷く魘されていた表情も呼吸も一変して穏やかなものに変わっていた。
それを見つめ、安心と同時に複雑な心境なのは月詠だった。

「・・兄様、ワタクシは――――ワタクシの判断は、間違ってましたのでしょうか・・?」
「後悔するぐらいなら最初から選ぶな。それに俺は、『あの時』言ったはずだ。その罪は一人で背負わなくてはならない、酷く重い鎖になると」
「満月は、嫌いですわ・・・。夜近様を苦しめるから――――」
「後悔しているのか?」

首を数回振れば、漆黒の髪に巻かれた呪詛のリボンも一緒に揺れた。
「ワタクシは、ワタクシに出来る事をしているだけですもの・・。ですけれど、それをお知りになられたら、きっと・・・軽蔑されるのでしょうね・・」

俯く視線の先には彼を映し込み、若干汗の混じった彼の手を小さなその手で包み込む。 それでも、彼の真実も彼女の背徳感も何も変わらないとは分かっていても――――月詠はただ、あの日の過去を脳裏に思い出していた。
あの日がなければ、夜近の満月に対する恐怖後遺症もなかったのだから。

七夕の日。
満月の日。
あの月の下で行われた惨事。
彼は知らなくとも、彼女はその全貌を知っている。



「悪い知らせだ、月詠。今年の七夕は――――満月だ」


懺悔はきっと、遅すぎた。







7月2日――――
彼は、早朝独特のタルい欠伸をかましながら神門家に向かっていた。
一見傍目には『美少年』と噂される類だろう、一度目にしたら忘れられない美貌というインパクトが強い風貌が彼には在る。口を開かないだけで勝手に美化を想像して思われるのはマシか、それとも個性的すぎる主張を聞かせてやるべきだろうか。
見た目には女の子をも嫉妬させるような可愛い風貌、口を開けば生意気小悪魔な少年、といった辺りが真実に近い。
だが、空も白け始めたこの時間―――朝の5時すぎだ―――季節独特の寒さは夏間近といえどもまだ肌寒いもので、彼を包む衣装は余計に寒かった事だろう。
隠密にも似た衣装は、それが彼を『仕事』に向かわせていたと知らせるには容易く、その足が神門家に向かっているならば『報告』に来たのだとは明白である。
玄関の門番を守る兵士にその足を止められ、

「いい加減顔と名前ぐらい覚えてよね。こんなに真面目に報告に来てやってんだから、いい加減顔パスでいいじゃん。―――・・ったく、葛葉家の呉羽。都市主サマの命令で行った仕事が終わったから報告に来たよ。ったく、こっちは朝っぱらから労働させられて疲れてんだし、おまけに寒いんだから早く通してくんない」

本来ならば律儀な定型句で繋ぐべきなのだろうが、彼は結構砕けているだろう決まり文句で溜息まで示してみせた。
この辺りで、彼の我侭な性格がよく分かる。

――――門を抜ければ一層拓けた大地が迎えてくれた。
まるで別世界に入り込んだかのような錯覚は、未だに慣れないのだ。京の都という趣の風雅を全面的に演出しているかのような―――本物なのだが―――広大な敷地。この都の最高権威を誇る家柄なのだから相応の造りにもなっていて当たり前だ。
腰元や兵士の数を数えればキリがなく、常に厳重体勢の敷かれている屋敷でもある。
上を見上げれば遥か広い空に覆われそうになり、視界を正面に戻せばこのご時勢には贅沢以外の何物でもないかのように広大すぎる異世界のような空間。
本殿に結ぶ道を作っているのだろう石畳の上を歩きながら、呉羽は

「こういう屋敷こそ、アイドルの僕に相応しいよね」

なんて事を呟いた。

白い砂で敷き詰められた視界の正面には本殿が立ち構えている。その周辺を見渡せば多い茂った樹木や池なんかも確認できたが、この寒い時間では眺める気にもならなかった。
そう思えば早いもので、足はさっさと本殿入り口向かっていくのだった。
だが、面倒臭い手続きを取って都市主への謁見の許可を得られたと思った瞬間。


「夜近なら、暫らくは会えん。大人しく待つかさっさと帰るか、好きなようにするがいい」


――――何故か、日光がそこにいたのである。
あの都市主を目の敵にしている事を彼も充分知っているからか、少し老けた三十路前の彼が神門家内にいる事に驚きを隠せなかった。
それどころか、謁見の間沿いの縁側で呑気に煙草など吹かしている。視線は庭に向かっているようだが、どうやらその鬱陶しい表情から一睡もしていないらしかった。
「なに、どしたの?日光がこんなトコにいるなんて珍しいんだけど」
「月詠を取り返しに来ただけだ」
「あぁ、またいつものやつ?懲りないよね、日光もさ。その内ウザがられるよ?」
「恩を仇で返すような真似はしまい」
「?なにそれ」
「こっちの話だ」
呉羽と視線を絡ませる事もなく、日光はただ庭の一点だけを視界に納め続けていた。
それに習うようにして呉羽もその方向を見やれば、木々に隠れるようにして東殿別館が確認できる。
見た目よりも実際の距離ははるかに遠いのだろうが、それでも別館が見える位置的なこの場所を日光は選んでいるらしかった。呉羽にはそこまでの疑問は湧かないものの、目を細めて凝視すれば襖の向こうに誰かの影がいる。
折り重なった影―――とでも呼べばいいのだろうか。
独特のお団子を結った影と、その膝辺りがやけに膨らんだ影だったのだ。
時折、その華奢な線を描く影が揺れ、下に向かって何かを話しかけている様子が窺える。

「・・あれ、月詠なわけ?あそこにいるじゃん、早く取り返しに行ったらどうなのさ」
「まだ、月が出ている」
「?月?」

日光の真意が分からず寒い空を見上げれば、雲間の影からは青白く冷めた月がまだ姿を見せていた。直にそれも見えなくなるのだろうが、それでも一晩中ここにいたらしい日光は煙草の本数だけが増えている。
苛々した気分を誤魔化すように、煮え切らない解決策を強請るかのように、行き場のない焦燥と不安を天秤にかけるかのように、彼の足元には吸い終わった煙草の箱や吸殻が散乱としていた。黒い煤(すす)だけが惨めな残骸を描き、風に運ばれてどこかに泳がされたものもあるのだろう。

「―――仕事の報告と言っていたな。また厄介な調査でも押し付けられたか」
「ここんとこ一週間、連日だよ。昨夜ようやく終わって、その足で来たんだ。アイドルの僕のお肌が死んじゃうよね」

嫌になっちゃうよね、なんてジェスチャーもついてくるのだが、日光は相手にしていなかった。視線は始終あの別館向かっており、そんな彼を見ては呉羽もわざとらしい仕草もさっさと止めていく。
アイドルの僕をシカトなんていい度胸してんじゃん、などと心中では思っているらしい呉羽である。

「・・この都を守っている四方守護結界の調査。最近魔物の出現頻度が激しいから、結界に何か生じてるんじゃないかって、都市主様の命令だよ」

例えアイドルを労働させようとも、完全な力関係には弱いらしい呉羽だ。長いものには巻かれろ―――という、アレだろう。力関係次第で自分の立場も変わっていく。自分に利益の在る者に就く事で自分の立場を有利にしていくのである。逆を言えば、呉羽にとって夜近が必要ないと判断すれば、簡単に裏切るのも確かだ。
「お前の姉も一緒にか?」
「密羽は前線担当じゃん。隠密に任命されてるのは僕だよ」

――――過去より神門家に仕えてきた葛葉家。
その任命は隠密として生涯神門家を支える事にあった。故に、葛葉という一族は代々密偵や隠密として育てられてきたのである。そして現在は都市主―――夜近―――に忠誠を誓う主従関係が成り立っていた。
しかし、同じ葛葉として育てられた呉羽の双子の姉・密羽は前線戦闘に任命されている。

「密羽は、その戦闘能力を都市主様に高く評価されてるからね。隠密に専念させるのは勿体無いってさ。女の子を戦闘員にするなんてどういう神経してんのさ、まったく」
「仕方なかろう。四大名家に生まれたならば迎え入れなくてはならん宿命だ。密羽本人もとっくに了承済みの筈」
「ぼ・く!僕に了承得てないってーの!密羽の可愛いお肌に傷がついたら、どうしてくれんのさ!」
「・・・・異常な姉弟愛だな・・」
「日光に言われたくないよ!!」









満月の夜は苦手だ。
七夕の日も、余り好きではない。
それは、忌まわしい過去を思い出させてくれるからだ。
ただ願うのは、その二つが同時に訪れないでくれと。無意味な祈りを無意識の内に捧げている。

そう、無意味なのだ。

祈る事も願う事も、あろう事か忘れたいなどとは。



「・・怖い・・。嫌だ、『来ないで』くれ・・。怖い・・っ・・」



――――男は月下を避けるように、陰を探す。
髪で顔を隠し、側にいる彼女の存在すらも知らずにただ苦しみと戦う。
――――女は震えるその体を愛しく包み込む。
滅多に聞けはしない数々の単語も言葉も、きっと朝になれば全て忘れているのだから。



「夜近様――――月詠は、ここにおりますわ・・」







―――その日の夕刻、綾小路学園正面玄関。
茜色にも似た空の下、次々と生徒たちはそれぞれの巣に向かって帰っていく。

「なぁ月詠、今日は劇の稽古していかなくていーのかよ?」
「夜近様の体調がよろしくありませんの。でも夜近様の事ですから、通し稽古などしなくても十分完璧に仕上がっていると思いますわ〜」
今朝方の事もあってか、夜近は彼らより先に神門家の送迎用車で帰っている。
「そういや、各クラスの入り口に笹の葉の竹が用意してあったけど。あれ、短冊を書けって事?」
「まぁ密羽ちゃん、いい所に気がつきましたわ〜〜!生徒会主催のイベントに先駆けて、生徒達の願を吊らし、メインの劇中に使用致しますの〜〜。勿論、ワタクシの願いはいつでもたった一つですけれど〜〜」
「高校生にもなって七夕に短冊って、ガキじゃあるめーし」
「そういう歌麿こそ興味津津に見てたクセに。よく言うよ」
「な、み、密羽っ。お前見てたのかよ!?」
「ただでだえ、赤い馬鹿は目立つ」
「夜近様がいらっしゃいませんから、フォローする人がいませんわね〜」

いつもの帰宅風景。
空は赤く、カラスは声高らかに鳴きながら空を舞い、木の葉は楽しそうに揺れ、足音は軽快に。
ただ違ったのは、そこに夜近がいない事。
月詠は空を見上げ、今ここにいない彼を思って切なげな表情をする。隣では、密羽と歌麿が相変わらず原点を見失った喧嘩を繰り返しているが。
―――そんな時だろうか、忍ぶでもなく騒がしい足音が聞こえてきたのは。

「み〜〜つ〜〜は〜〜ッッ!!!」
「え?」

振り向いた時にはもう遅い、密羽の体は誰とも知れない人物に抱きつかれていた。
「密羽っ!探したぞぉッ!!」
歌麿を思わせるような赤い髪、年頃にして20代半ば辺りだろうか、逞しい筋肉がひと際印象に残る男。その男はその腕力の限り密羽を抱きしめている。
「ちょ、何!アンタ誰ッ!」
どうにか動こうにも大の大人の腕力には勝てないらしく、両手は操作不能。足だけは動かせそうだが、一方の腕を腰に回されているのでその範囲は狭い。精々、相手の足を踏みつける程度のものだ。だが、それでも不審なこの男はただ名前を呼びながら抱きついてくるのだ。
「まぁ密羽ちゃんったら〜。こんな歳の離れた殿方に唾をつけていただなんて〜〜」
歌麿はその状況に助けようとはしないが、どこかその男を睨んでいる。
「馬鹿、月詠っ!そんなワケないだろ!?つーか、ホントに離しなッ!」
「つれない事を言うな、密羽!あぁっ、幼いお前もかわいい!!今すぐ結婚しよう!!」
「・・・・・・・・・殺す」

密羽の声のトーンが一気に下がった。
瞬間、月詠と歌麿は顔を見合わせ、少しの汗を思わせながらその男を引き剥がそうと駆け寄った。
「密羽っ!戦闘モードに入るな!!マジで!仕事人シリーズ映画版につき合ってやっから!!」
「早く離れてくださいまし〜〜!!でないと、本当に命の保証はできませんわよ〜〜ッ!!」
それでも男は離れようとはせず、月詠と歌麿の力など赤子のようなものだと思わせんばかりに―――しかし、その時4人の間に何かが走った。
俊足とでもいうのか、それは本当に瞬間的な感覚。ほんの僅かに生じる4人の真ん中を駆け抜けた。
走った方向を見やれば、木の幹に一本のクナイが刺さっている。

「・・・・顔を見るだけだって言ったのはどこの誰」

またしても第三者の声が届く。
いつの間にいたのか、黄色に輝く長くも美しい髪をなびかせ、男勝りな性格を思わせる口調。ロングスカートの中に隠していたのだろうクナイはもう仕舞われていたが、彼ら4人に近寄るなり自分が投げつけたクナイを再びスリットの入ったロングスカートの下に隠した。
だが、密羽は見逃さなかった。
そのクナイに描かれていた家紋を。

「悪い悪い、やっぱ可愛くて仕方なくってよぉ?」
「懐かしさに浸るのは勝手だけど。アタシまで巻き込まないでくれる」
彼女の細く厳しい瞳が、大の大人の男を威圧している。赤い髪を掻き毟り、どうしたら許してくれるか、なんて事を口にしている姿はちょっと滑稽だ。
「こいつらにはまた後で会うんだ、何本気で探してるんだ。馬鹿」
「だからよぉ、そろそろその『馬鹿』ってのやめてくんね?俺もう26なんだしよぉ。ガキもいるしさぁ、真似されたら父親の面子っつーモンがよぉ」
「馬鹿はいつまで経っても馬鹿。馬鹿菌が流布されないのが救いだけど、アンタの馬鹿は生涯治りそうにもないね」
誰かに似た、凛とした中に厳しさの残る口調。
「ほんでぇ?26歳の馬鹿って男とそこのお前。密羽が目的なのか?俺らが目的なのか?内容次第じゃ対戦って事になるけどよぉ?」
「うわー、ここにも馬鹿がいるな。おいおい、見てくれよ。やっぱ俺とソックリだよな?な?」
後から参上した美女に、懐かしさと込み上げていくる嬉しさを隠しきれないのか、赤い髪の馬鹿男は非常にご機嫌だ。だが、美女は諦めることでしか妥協できないこの状況にため息をつく。
「・・・だから、アンタの馬鹿は生涯かけても治らないって言ったんだ。ったく、いきなり夜近との約束破って―――」

それは瞬時。
例えるならば、蝶を喰らう蜘蛛の如く。
それは、瞬間的かつ桁違いの素早さで―――密羽が謎の美女にクナイで襲いかかっていた。

「お前らの口から夜近の名がでたのは後回し。・・・・アンタ、誰」

この俊敏で俊足な足技、相手の行動範囲を見極めた上での対戦角度、何度と闘ってきた戦いのルール。小柄な体格を利用した緻密な戦法。
そう、密羽は機械人形に変化してしまっていた。
だが美女は、彼女の繰り出す攻撃をいとも容易くかわし続け、口元は少し笑っている。 嘲笑しているのではない、それは単なる観察にも似た動きだ。

「さっき木に突き刺さったクナイに刻まれていた家紋。アレは葛葉家を明示するもの。葛葉一族の中でも戦闘隊士にしか持つ事の許されぬクナイ。だが、アタシはアンタを知らない。・・・・貴様は誰」
「・・・ふふ。本当に刺々しい攻撃だ。躊躇うでもなく確実に急所を捉えてくる」

そして美女もまた交戦するように、己のクナイを太股から取り出してはクナイ同士がぶつかり合う金属音が何度も何度も鳴り響く。
「隙を見せる間もなく、次の攻撃に入る。かと思いきや、フェイントをかけて相手を翻弄させ体力消費を狙うやり方も―――ああ、馬鹿の言った通り。こういう懐かしさも悪くないかもね」



ガキンッッ!



美女のクナイが密羽のクナイを弾き返し、それは近場の地面の上に刺さる。

「な・・・・」
「な、密羽ちゃんが・・!?」
「お、おいおい、嘘だろ!戦闘モードの密羽が負けるなんて事あるのかよ・・っ」
「加速するタイミングも攻撃速度も問題ない。けれど、アタシのたった一回の攻撃に武器は失われた。答えは、アンタの武器の使い方が荒すぎるって事。相手を殺す事しか考えてない。まるで機械人形のようにボロボロだ」



壊れた機械人形。
それはいつの頃からか自分の二つ名となっていた。
だが、密羽自身は不満も不快も感じなかった。
―――その通りだと、もう一人の自分が納得していたから。



「誰も負けだなんて決めていない。決めたのは、アンタだけ」

そう言うや否や、密羽は地面に刺さったクナイを回収し、音速を超えるのではないかという速さで美女向って駆け出していた。
「何度やっても無駄だと思うけどね」
クナイのぶつかり合う音が痛々しい。
そして一瞬の隙を見て、密羽はその場から高く跳びあがり―――太ももに隠していた3本のクナイを同時に放つ。勿論、それを避ける為に美女もまた飛び上る。
その瞬間を待ってましたとばかりに、密羽が最後の一本となるクナイを急所目がけて放った。

「アタシの勝ちだ」

そう、地面上では体を自由に動かせれど、空中ではそうはいかない。それを狙っての行動だったのだが、美女はまだ笑っている。
長い髪を揺らし、クナイが顔面に向かってくるというのに余裕の笑みで、懐かしい記憶を辿るかのような優しい頬笑みで。
そう、顔面に向けられた武器は、美女の右手の人差指と中指に軽々と収まってしまった。
避けたのではない、正面から堂々と受け取ったのだ。
そして二人が同時に地面に足をつければ、謎の美女はこれみよがしに密羽のクナイを見せつけ、一言だけ口にした。

「チェックメイト」

人差指と中指の力を抜けば、密羽のクナイは地面にゆっくりと下降していくのだった。
「腰に二本、太ももに三本。アンタの武器はこれでおしまい。他にやる事はあるかい?」
「・・・・・・何故知ってる。この格好で武器の隠し場所を知る者はいない」
「な、なんだよあの女・・!密羽で遊んでやがんのか!おい密羽!本気出せよ!!いつもみたいにやれよ!!」
外野から歌麿の声が届くが、密羽はまだ戦闘態勢を崩さずに目の前の女だけを敵視している。
「・・・・何故攻撃してこない」
「それは意味がないから」
「アタシにはある。何故我が葛葉の家紋が刻まれた武器を所持している。盗人か」
「まさか。正真正銘、アタシは葛葉の人間だからさ」
「アタシはアンタを知らないと言った筈」
「でもアタシはアンタを知ってる。ついでに言えば、常時腰にぶら下げている小刀の意味も知ってるさ」
「―――ッッ!!??」

密羽の反応が大きくなる。目を見開き、この現実を疑ったのだ。
封印したかのような風貌の小刀、これの意味を知る者は自分と夜近、そして月詠だけだからだ。
あの呉羽でさえ知らないというのに、何故簡単にそれを口にするのか。
何がなんだか分からなくなってきた。
「ゆっくり深呼吸して、『戻り』な。焦らなくてもあの馬鹿と一緒に自己紹介してあげるから」
「・・・・・・・」
クナイを回収し始めた頃には、いつもの密羽に戻っていた。その瞳こそ厳しいものの。
「密羽ちゃん〜〜」
「大丈夫だ。問題ない。あるとすれば、相手の素生の真相って事ぐらいのモンさ」
「お疲れさん。どうよ?」
いつの間にか、赤い髪の男は美女の隣に移動していた。それはもう、愉快そうな笑みで。
「ま、予想範囲内ってトコだね。複雑な心境だけど、悪くはなかったよ。アンタはあいつと闘わなくていいのかい?」
顎で歌麿を指してみせるが、男は笑う。
「いいって。俺まで武器抜いたら夜近に怒られそうだしな」
「ただでさえ、合流するまでは接触厳禁って禁則事項だったしね。ある意味、もう手遅れだけど」
ふぅ、とため息をつき、彼女は前を見据える。
自分たちの正体を知らずに帰しはしないという瞳に縛られているからだ。

「名乗り出るのも、合流してからではないと混乱を招く恐れがあるからだって夜近は言ってたけど―――もう手遅れみたい」

密羽、月詠、歌麿。
警戒心を表情に乗せながらも、二人の口から出る単語をただ待っているのみだ。
そして二人は諦めたような溜息をついた後、凛とした瞳で己の名を語った。


「嫁いだ先の名までは明かせないけど、アタシの本来の名は、葛葉家の前線隠密として神門に仕える葛葉密羽」
「そんで俺様は、鳳来寺家当主鳳来寺歌麿様だっ」



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