第弐章・第4話『夜近の章・失くした記憶/覚醒の時』
> 第弐章・第4話『夜近の章・失くした記憶/覚醒の時』








10




それは時刻にして夜中の22時ぐらいだろうか。
神門家が代々継いできた伝統芸もそろそろ終盤を迎えようとしている。
小柄な織姫は何十にも着せられた着物の裾から扇を踊り、時々開かれるその瞼の下の色に誰もが恋い焦がれる。
だが、月詠が見ているのは夜近でも観客でもない。

(満月・・・雲に隠れて完全には出てきてはいないようですわね。このまま終えられれば良いのですけれど・・・)

そして夜近もまた、牽牛としての務めを果たそうと、しなやかな動きで扇を舞わせる。その度に観客席からは「おお〜〜」といった感嘆詞が聞こえてくるのだが、然して興味もない夜近はただ舞うだけだ。
ひと振り、ふた振り―――そんな頃だろうか、夜近の表情が曇りだしてきたのは。
それに気づく月詠は舞も忘れて上空を見上げた。

「・・っ!雲が・・!」

雲に覆われていた月が、その姿を露に輝かせてくる。
―――満月の夜。
―――七夕の日。


「俺、は・・・っ」


はっと気付けば夜近が床に崩れ落ち、酷い汗を扇で隠そうとしていた。




見えるのは、辺り一面を覆う真赤な海。
どこまでも続く赤い海。
少年の足は水面を揺らし、ただ笑む。
それはまるで血に飢えた獣のように、それはまるで快楽を得た者だけが浮かべる気色の悪い笑みのように。





―――俺、は」



「夜近様っ!」
必死に駆け寄る月詠だが、夜近の焦点は目的地を見失っていた。
いつもは青く凛と光る瞳も、今は闇の中を彷徨っている感じである。
観客は突然の事態にざわつき始め、都爺達は心配そうに見守りながらも雅楽の演奏を止めない。
「やこ―――きゃぁっ!」
「やめろぉぉ!!俺に近寄るなぁぁっ!!」
夢の中を彷徨うのか、夜近の両手は月詠を弾き飛ばし、舞台の中央でただ獣のように叫ぶ。
「夜近っ!!」
非常事態と察したのか、歌麿と密羽も舞台に駆け寄る。
「演奏をやめろ!!非常事態だっ!」
「歌麿様、舞台に入ってこられては困り―――
「ンな事言ってる場合か!見て分からねーのかよ、舞台は一時中止だ!!」
歌麿も何かを感じ取ったのだろう、夜近の体を守るように覆いかぶさる。
「月詠っ、怪我は!?」
「だ、大丈夫ですわ〜〜、密羽ちゃん・・・」
「頬が腫れてる、手加減なしで突き飛ばしたって事かい」
「違いますの、今の夜近様は―――


―――満月の夜の夜近様は特別だから。

・・・どうして言えようか。


「っ、そうだ、この事だったんじゃないのかい!」
「密羽ちゃん〜・・?」
何か思い当たる節に出会ったのか、密羽は月詠に顔を戻して語った。
「あいつら言ってただろ!ほら、未来から来たあいつら!中でも夜近は何か言葉を託してたじゃないか!」
「えっと、確か〜・・・『迷わず祠へ行け』・・・でしたわよね〜・・」
「そういう事っ!歌麿!!」
「ああ、任せろ!」
言葉のキャッチボールが上手く連携を取ったのか、歌麿も理解を示し夜近を立たせようとする。
「分かるか、夜近。祠だ。神門家が祀る青龍の祠だ」
「ほこ、ら・・・・せい・・・・りゅ、う・・・・」
「そうだ、そこに行け。あいつらも言ってたろ、そこに答えがあるってよ」
「こた、え・・・?」

意識の中で物凄い量の記憶が蘇る。

赤。
血の海。
少年。
短冊。
少女の短冊を吊った少年。
七夕の夜。
微笑むままの少女。
血。
佇む少年。
死骸の群れ。
血で染まる視界。
笑う少年。
視界から消えた少女の影。


「う、うわあああぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」


「歌麿っ!」
「わぁってる、誘導は任せろ!おいジジイ!!」
「は、な、え?」
状況が掴めていない都爺はそんな声しか出せず、歌麿の視線で自分を指しているのだと遅くに知る。
「青龍の祠ってのはどこだ!」
「ほ、祠でしたら、神門家内北部の山中に―――
「北だな、おい夜近!北だ!お前なら知ってるだろ、祠の場所ぐらい!」
「ほこ、ら・・・」

最後に立ち寄ったのはいつだっただろうか。
記憶の糸を手繰り寄せ、夜近はただその場所を思い描く。

「そうだ、その場所に―――
「う、うあああああぁぁぁぁぁッッッ!!!!」
頭をかきむしるように、夜近は両手で頭を抱えただ叫ぶ。
「や、夜近様・・っ!!」
その姿があまりにも辛いのか、月詠が慌てて彼に近づくも、その脳裏には一つの場面が映し出されていた。




『いいのか、月詠?その罪は一人で背負わなくてはならない、酷く重い鎖になる』
『構いませんわ〜・・夜近様が忘れる事を望まれた今、ワタクシだけは覚えておきますの。誰も覚えていない、誰も知ることのないこの惨事を、ワタクシだけは』
『・・・・・ならば何も言うまい。好きにするといい』
『兄様』
『だが、夜近が思い出そうとする時がいつか必ず来る。その時にお前はお前でいられるか?』
『・・・・・先の事は知りませんわ、大事なのは今ですもの〜』
『その決断が命取りにならなければいいがな』




10年前のあの七夕の夜。
頭上に輝く月は真っ赤に染め上げられた夜。
そこに佇むのは真剣を深紅に染めた少年。
その瞳は獰猛に、口元は笑い、地面を埋める血の海の中でニヤリと笑っていた。
それを見守るのは一人の少女。
幾多にも転がる骸と、願いが赤く染められてしまった短冊。
―――目を逸らしてはいけないと思った。
最強の花嫁なのだから、自分は最後まで見ておかなければならないと思った。
彼が正気に戻った時、いつもの顔で笑ってあげたいと思った。
例え、彼が忘れる事を望んだとしても。




「う、ぅあああああああぁぁぁッッッ!!!!!」

我武者羅に、体と心が追い付かない格好で夜近は走り出す。
「夜近っ!」
夜近らしからぬ態度に歌麿に動揺が走るが、それは彼だけではない。月詠を除く誰もが驚きざわめいていた。
―――あの厳格な都市主様が。
―――常時冷静なあの方が。

―――どういう事?日光、貴方の意見を聞かせて頂けるかしら?」
鳳来寺当主代理として一応顔だけは出している涼が、隣で何かを考えている素振りを見せる日光に問いかける。
「10年前の記事は、神門家内部で抹消されている。つまりは、なかった事にされているという事だ」
「10年前?」
「君の弟と同じく、夜近にも力の暴走が起きた。都爺達が知っているかどうかまでは分らんが、この事実を知っているのは俺と月詠だけだ」
「そういえば、満月の夜は精神の乱れが起こるとか言っていたわね」
「ただの前兆、そして後遺症にすぎんのだがな。だが、今日は日が悪すぎた。丁度七夕の日に満月だ。月詠がいても効果がない。それどころか、自我すら失って都市主という肩書すらも置き忘れている」
「自我?あの夜近が?」
「あいつは、この世に生まれた時から都市主としての道を選ぶしかなかった。だが、心の奥底では自由が欲しかったのだろう」
「どういう事?」
「一族を皆殺しにする事で自由を得られると思い、神門の都市主が代々受け継ぐ青龍の力を解放した。・・・いや、自分の意志ではなかったのかもしれん」
「愉快とは言えない話ですこと。けれど、そんな惨事を起こしておいて今まで平気な顔をしていたなんて幻滅だわ」
「覚えちゃいないさ」
くっと喉が笑い、涼は再び日光を視界に入れた。
「忘れる事で、青龍の力を封印したのだからな」
「・・・・・・」
「君の弟と同じさ」
「・・・・そう、ね。普通に生きたいだけなのに」

思わず歌麿と重なって見えた。
歌麿も10年前、力の暴走を起こしている。

「・・・で、ワタクシ達はどこまで観客を演じていればいいのかしらね」
「こういう時だけ大人という立場は困るな」
「今更だわ。特に日光、アンタはね」
「まぁとにかく、舞台の演者がああなってしまっては演目丸つぶれだな。月詠もどうしたらいいのか困っている様子でもある事だし」
「事だし?」
そして次に試し笑いを醸し出すのは涼だ。
「結局は、俺の出番という事だな。ヤレヤレ」
「頼もしい限りだわ。さっさと行ってきなさい」
「君がキスをしてくれたら」
「あら残念、今夜は鉄火扇を持ってきているの。致命傷を与えられたくて?」
「・・・・君はムチばかりだな。たまには飴も貰いたいものだよ」
そう言いながらも肩をすくめて見せ、律儀に舞台に向かっていくその背中。それを見守る涼は、そんな日光を信頼していた。



11




「はぁっ、はぁっ・・・!」

厳重な封印が施されている祠の前に、夜近が息も切れ切れにその足を進ませる。
だが意識は朦朧としており、何故ここに来たかすら覚えていない。


「ぐああぁぁぁッッ・・・!」


祠に近づく程、体中の血が騒ぎ出す。

―――答え。

本当にそんなものが欲しいのだろうか。
今までのように平穏で、魔物と戦い都を守るだけでは駄目なのか。
心の中で警鐘が鳴り響く。
だが祠は、蒼く光り輝き幾重にも貼られた結界符が破られ、夜近を受け入れている。
―――入れ、という事だろう。
恐怖、ではない何か。
心は拒絶しているのに、体は祠向かって歩き出す。
自分に欠けている何かが、ここにある。

―――欲しい?
―――欲しくない?

今まで通りの日々では駄目なのか?

頑丈な祠の岩は、夜近を認めるなり簡単に道を示してくれた。
地響きのような音と共に、入れと催促されている気分だ。
そしてそのまま歩を進めば、奥底に蒼く光り輝く一室に辿り着く。
天井は高く、正面には蒼く輝くオーラを発する球体が安置されている。
神秘的な何かを思わせる一室。
初めて見る光景だというのに、懐かしさにも似た何か。

「ここ、で、俺は―――

瞬間、地面が赤い血の海で染まっていく。

「ッ!?」

そして次々と現れるのは骸となった無数の人々の姿。

「ひ・・・っ!?」

だが、確認できないほどの距離では何かが光っている。
何だろう、あの光は何だ―――そこには、まだ幼き月詠の姿があった。
「・・・月詠・・・?」
これは、この惨劇の後の状況は幻覚が見せる夢なのだろうか。
そう思った時、月詠から目を離せない夜近に声が届く。

「・・・来たか、宿命を担う者よ」

それは地よりも低く、天よりも高く、幾多もの声が重なった和音のようにすら聞こえた。

「記憶を消す事を望んだお主が、また何か用が?」
「記憶を消す事を望んだ・・?」
「そう、お主は我の力を解放し、罪なき一族を次々と殺した」
―――・・っっ」
開いた口が塞がらないとはこういう事なのだろうか。
姿は見えずとも、その声だけは確かに聞こえてくる。夜近の知らない何かを握って。

「言いがかりは止してください。そもそも、貴方は誰なのです?姿も見せずに―――
「我の姿を隠したのはお主ぞ。我を封じることで記憶を消し去ってやった。等価交換は済んだ筈」
「・・・・封じ・・?」
「我が名は青龍。代々神門を守護し、都を守り続ける四神の一つ」

そうだ、確か名家を守護する四神は代々当主が受け継ぐ存在だ。
なのに、今の夜近にはその力がない。
彼が元々強いのもあるのかもしれないが、青龍の力を扱った記憶が全くない。
もしさっきの幻覚が本当にあった事なのだとしたらば、青龍の力はその時に使用したのだろう。
その、たった一度だけ。

「貴方が青龍だと仰るなら、その姿を見せて頂けますか」
「それは、契約の無効を意味する」
「契約?」
「我はお主の記憶の一部を封印する事でこの身を封じられた。だが、今お主が申すのは真逆の言葉」
そして暫しの沈黙が続き―――夜近は焦点を見失っていた。
「先ほどの・・・あの幻覚が事実で・・・・それを俺は忘れた・・・?」
「我はお主が生まれた時から常に傍にあった。だが、忘れたいと願ったからこそ我はお主に従ったまで。だが、我を再び眠りから覚ますと願うなら、記憶の解除を行わなければならない」
「殺した・・・?俺が、人を・・?・・はは、笑えない冗談だ」
自分に覚えがないのだから、その反応は当然のものだろう。
だが、夜近は体中からの汗が止まらない。
―――拒絶している。
―――当たり前だ、誰がそんな戯言を信じるものか。
―――俺はずっと、都市主として生きてきたんだ。都市主の俺が、こんなにも沢山の人間を殺す訳がない。そもそも、動機すらないではないか。

「では、その手は何ぞ」
「手・・?」
ふと自分の掌を広げて見てみる。
そこには、生々しい色を広げる真っ赤な自分の掌。ペンキなどではない、この質感には覚えがあった。そう、魔物を退治した時に浴びる返り血だ。
そして再び、夜近を中心に血の海が広がっていく。
息絶えた死骸の山、中には女子供も混じっている。
何人、というレベルではないその数。首から上がない死骸、両足を切断されている死骸、それはもう酷い光景だ。
しかし、夜近はただ唖然とするしかなかった。

「それがお主の犯した罪。そして罪を忘却する代わりに、強大な力を保持する守護の我を封じた」
そして、再び自分の力を得たいならば過去のこの罪を受け入れろと続く。
「・・・・・一つお聞きしたい」
「答えられる範囲でならば」
「この光景・・・この状況を知っている者は・・?」
「生存者はただの一名のみ。まだ幼き少女、お主も心のどこかで制御していたのだろう、この者だけは殺してはならないと」

さっき見えた光景の中に、まだ幼き月詠の姿があった事を思い出す。
―――月詠は『知っていた』のだ。
―――知っていて、知らぬフリを10年。

こういう気持ちを人は何と呼ぶのだろう。





第弐章・第4話『夜近の章・失くした記憶/覚醒の時』/ back / next

次ページで4話終了です。


> 第弐章・第4話『夜近の章・失くした記憶/覚醒の時』/

 

広告 [PR]スキンケア  転職 化粧品 無料 ライブチャット