第弐章・第4話『夜近の章・失くした記憶/覚醒の時』
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12




夜近が祠に籠ってから3日が経った。
そして3日目のその夜も、月詠はそこにいた。
しかし祠の入口は頑固として動かず、ただ待つのみ。
だが、彼女のその表情は心配とも焦燥とも取れる表情だ。

―――きっと『知られて』しまったのだと。
兄は言っていた、酷く重い鎖になるのだと。

「月詠。ああもう、またここにいた」

背後からかけられる声もこれで何度目だろうか。
呆れた表情の密羽と、渋々お供をしている歌麿だ。
「いくら特殊技能クラス所属だからって、3日も無断欠席はマズいだろ。夜近も含めてよぉ」
特に、夜近は生徒会長も務めている。厳しく取り締まる側がこんなのでは駄目だろう、と言いたいらしい。
しかし、事情が事情だ。
何も知らない二人にとっては他人事かもしれないが、月詠にとっては一大事な出来事で間違いない。現にこの3日間、ずっと一人でこの場所で彼の帰りを待っているからだ。頑として動かず、それを見かねた腰元たちが食事を用意してくれたが、喉を通らない。

「で、一体何が起こってるのさ?そろそろ話してくれてもいいんじゃないの」
「密羽ちゃん・・・・」

今にも泣きそうな顔で、月詠の心は揺れていた。
言えばきっと少しは楽になるだろう。
だが、それを夜近は望むだろうか?
完璧を誇る都市主を生きてきた彼が、その汚点とも呼ぶべきあの事実を友人に知られたいと願うだろうか?

「まぁた食事残して。水分ぐらいは摂ってるだろうね?」
「・・・・何も口にしたくありませんの」
「顔までやつれて。そんな姿、夜近に見せたいってんなら話は別だけど」
挑戦的とも取れる言葉で挑発してみるが、月詠は顔を俯かせたまま彼女たちを見ようともしない。
「アンタ、殴られたいの?」
首を振る。
「いい加減にしな!!アンタ―――
「密羽、やめろって!」
「歌麿は黙ってな!!何が起きてるかは知らないけどさ、こんな異常事態に平気な顔で来たワケじゃないんだよ!!夜近に何が起きてんだい!!」
「悪ぃな、月詠。こいつ、あれからずっとこの調子でよ。学校でも荒れるわ、部活でも周囲を泣かせるわで大変な騒ぎ起こしてんだ」
密羽の後ろから許してやってくれ、的なポーズで歌麿がフォローするが、密羽の怒りは収まらない。
「月詠ッッッ!!!!」
密羽の怒号にびくっと肩が跳ねるが、月詠は何も言おうとはしない。



「言っても構わんぞ」



月詠の瞳が、その言葉に驚きを覚えて見開かれる。
気がつけば、密羽と歌麿の更に後ろ―――大きな幹に背中を委ねる日光がいた。
「あ・・・あに、さま・・・・?」
「まぁた神出鬼没な奴が現れやがった。いつからいたんだよ」
「妹を心配しない家族がどこにいる」
特にこの男は月詠溺愛しすぎている節がある、もしかしたら彼も3日間ここにいたのかもしれない。
その証拠に、その足元は煙草の吸殻で埋め尽くされている。多分この状況で肺がんの心配をするのは涼だけだろう。今はいないにしても。
「ですが兄様っ、夜近様は望まれましたわ!忘れる事を望まれましたわ!なのに、なのにどうしてワタクシが言えましょうか・・・ッ!!」
歯を喰いしばって耐えてきた涙が溢れて止まない。

「夜近を筆頭に、月詠・歌麿・密羽。この4名は次期当主の権限を得ている。知る権利があると言っただけだ。夜近の心中など、どうでもいい」

無機質な表情で頭を掻き、懐から煙草を取り出しては愛用のジッポで吸い始める。
だが、そのふたりのやりとりに不信感を抱くのはこの二人だ。
「夜近が忘れる事を望んだ?」
「おいおい、何の話だよ?ンな話、初耳だぞ」
一欠片の言葉だとしても、言ってしまったからにはもう遅い。
歌麿も密羽もどこか困惑な面持ちで、月詠の後ろに構えられた祠を見つめている。
「・・・・何があったのさ」
「っ、それ、は・・・・・」
日光は妹の困惑に助け船を出すでもなく、ただ3人の会話を聞くに徹していた。
「月詠。話せ。知ってる事全部、話せ」
「麿ちゃん・・・・」
自分の中の震えを抑えるかのように両手を重ね合わせ、その小さな拳に力を込めた。だが、視線は芝生を見つめたまま。
まだ、二人の表情を見る事ができない。

―――・・・10年前、七夕の夜に・・・・・沢山の死者が出ましたの・・・・・」
「10年前?・・・ああ、それなら俺も知ってるぜ。鳳来寺家からも何人か参列させたからな」
「アタシんとこもだよ。でも、全員が酷い状態の遺体で帰ってきたって聞いてる」

この場合、当然駿河家からも何人か参列させている。尤も、花嫁の警護という任務もあったのだとは思うが。

「・・・・夜近様、ですの」
「?何が夜近だって?」
一瞬分らない表情で訊ね返すのは歌麿だ。

「・・・・夜近様が、殺しましたの・・・夜近様が、残虐な殺し方で・・・・皆を・・・・」
「ッッッッ!!??」

言葉にならない驚き。
そして声にならない涙の数。
ぼたぼたと芝生の上に水滴が幾多にも落ち行き、月詠の声は確かに震えていた。

怖かった。
恐ろしかった。
その刃が自分に向けられる事にではなく、その真っ赤な景色の中で狂ったように笑うその姿が。
だから、覚えておかなくてはいけないと思った。
全てを知った上で、夜近を愛するのだから。


「ちょ・・・・待って、月詠、それ・・・本当なのかい・・?」
突然の事情告白に戸惑いを隠せないのは当然だ。普段から冷静を保っている密羽でさえこの反応だ、全てを信じられないでいる。
事実は別にあって、大きな嘘で誤魔化しているとまで考えた。
だが、月詠はさっきからずっと泣いている。
両手で顔を隠しても、その涙までは隠せない。
「涼も、風も・・・・・ンな事一言も言ってなかったぜ・・?」
「この事実を知るのは、当時唯一の生存者である月詠と、それを聞いた俺だけだ。鳳来寺家にも葛葉家にも事実を通達していない。勿論、神門家にもな」
冷淡とした日光の声が、言葉が、現実だと知らされる。
「なんで今頃になってそんな話・・・・」
「夜近様は、満月の夜になると精神が乱れる状況になるのは知ってますわよね・・・?」
「あ、ああ、確かあいつ自身、そんな事言ってた気がする」
「それは、七夕の日が満月だったからですの・・・」
「後遺症というやつだ。そうだな、自覚はなくとも精神は覚えていると言った方が正しいか。そして運悪くも、今年の七夕は満月だった、というオチだ」
興味のない瞳で語る日光は、またしても吸殻を一つ増やした。
「それにしたって、なんで今頃―――違う、なんで夜近はそんな事・・・・」
自分が発する言葉すら間違え、密羽は言い直す。それに首を振るのは、未だ泣き続ける月詠だ。
「・・・分りませんわ、あの時の光景は覚えてますけれど、夜近様に何が起きたのか分かりませんの」
そこで祠に視線を向けるのは密羽で、月詠の言葉の後に続けた。
「もしかして、守護四神が関係してる・・・?」
ただの後遺症ならば祠にこもる事はないだろう。そう考え、密羽は更に思考を進ませていく。
「ほぅ、なかなか聡いな。さすがは隠密一族といった所か」
「日光、アンタはどう考えてんのさ」
「俺の考えなど聞いた処で何になる。真実は一つ、されど憶測は無数だ」
「いいから答えな。このまま釈然としない気持ちは不快でしかないんだよ」
やれやれ、といったポーズで肩を竦めてみせ、日光は然して興味もない瞳で語る。
「七夕には短冊といった物を使用して、自分の願い事を書くのが今の日本の風習になりつつある」
「そんな知識が聞きたいワケじゃ―――
密羽の抗議も無視し、日光は続ける。
「元々は裁縫が上手くなれますように、だとか、習字が上手くなりますように、だとか、そういった文化の筈だったのだが、今では中国の伝記が混じって個々の願いを書くようになった」
背中の幹に更に体重を乗せ、呉服の中で腕組をする。
「10年前の七夕の夜、夜近は短冊に何を書いたと思う」
「ッ!兄様っっ!!」
それ以上は言ってはならないと察したのか、月詠が制するがそれすらも彼は無視をした。
「あいつは、夜近は何も書かなかったそうだ」
「・・・何も、書かなかった・・?」
「おいおい、夜近に限ってそれはねーだろ。しかも10年前つったらまだガキだぜ?そんなガキが、腐るほどある願いを書かない筈ねーだろ」
歌麿ならば、一人で短冊を何十と書く事だろう。それは容易に想像できるが、夜近は違った。
「夜近様は、ワタクシの短冊を吊った後に御自分の短冊も吊るされましたわ。けれど、そこには何も書かれていなくて、訊ねましたの。何故何も書かないのですか、と」



『俺は都市主だ。都市主は、己の為だけの願いをもってはならない』



「俺がその場にいたならば、殴ってやりたかったさ。子供の分際で大人ぶるな、とな。だが、あいつは違った。いつでもどこでもどこまでも、都市主という苦しい肩書を背負っていた」

当時7歳の子供の行動。
その頃から既に、夜近は都市主としての威厳を求められていたのだ。
同情してやりたくなるほどまでに、彼は肩書に徹底していた。それが例え自分の意思ではなかったにしても。

「そして月詠を除いて、一族を含め自分を知る者を皆殺しにした。実に残虐な殺し方でな」
あの10年前の夜、日光は帰りの遅い月詠を心配して短冊を流す場所まで迎えに行った。だが、そこには酷過ぎる惨事の跡が残されていた。
「思い出しただけでも吐きそうになる光景だったな、あれは」
「アンタ、見たのかい」
「俺はそんな下らん儀式に付き合う程お人好しではなくてな。だが、月詠の帰りがあまりにも遅すぎるから単身で向かったのさ。・・・・そこには鬼の形相で笑う夜近と、それを見守る月詠の姿、そして無数の死体の山。内臓がえぐりだされているのもあったな、どうすればこんな殺し方ができるのかと尋ねたいぐらいに、酷い骸の山しかなかった」
「それで?」
「月詠は動かなかった。ただ夜近だけを見ていた。俺が声をかけても、視線の先は変わらなかった」

当時、月詠も7歳の子供だ。
その子供が見るには耐えがたい光景だったことだろう。
しかし、月詠は目を逸らそうとはしなかった。
例え兄が傍にきて心配してくれても、泣こうともしなかった。いや、耐えて耐えて、耐え抜いた。
そして言ったのだ。
自分だけはこの光景を覚えたまま生きていくと。
そして、毎年七夕の日に吊るす短冊には同じ事を願うのだと。

「待てよ。それじゃぁ夜近が皆殺しにしたっつー理由になってなくね?」
「言っただろう。夜近は若干7歳にして都市主の名前を背負わされていたのだと」


きっと、誰も自分の事を知らない世界に行きたかったのだろう。
だが、一人では辛すぎる。
だから、月詠を生かした。
―――そして、忘れた。


「何もかもが無茶苦茶じゃないか。傲慢にも程がある」
「7歳の子供に理性を求める方がおかしいだろうさ。例えそこに俺がいたとしても、きっと俺は止めなかっただろう」
「なんで!!まだ7歳の子供だよ!?残虐な殺し方を覚えさせる為のものじゃないだろ!?」
「・・・・・無数の屍の上で、あいつは泣いていた。笑いながら、泣いていた」
「なに・・・・それ・・・」
「最初は二重人格者かと思ったが、そうではなかったらしい」

『都市主』と『神門夜近』。
どちらもが同一人物で、その切り替えが7歳の子供にはまだ無理だったのだ。
そして意識が一個人に戻った時、この惨事を起こした自分を責めた。青龍と交渉したのもその時だろう、17年の歳月の中でその部分だけを消し去った。
自分の汚点―――いや、都市主としてあるまじき行為を起こした自分の行為を。
その見返りとして求められたのが、青龍の封印だ。

「・・・どっちを責めればいいのさ・・?夜近?それとも都市主?・・・分かんないよ・・・っ」
「どっちを責めても意味はねーんじゃねぇの?夜近はずっとそういう環境の中にいたんだしよ」
「情報隠蔽まで起こしたのは日光かもしれないけどさ、それでも数え切れないほどの死者を出してんんだよ!?罪もない、ただ七夕の儀に参加しただけの人達を!」
「ンだよ、密羽らしくねーな。・・・・・幻滅してんのかよ?」
「・・・ただの殺人者に同情もあるもんか」
「密羽っ!!言っていい事と悪い事があんだろーが!一番苦しんでんのは夜近なんだぜ!?それを俺たちは守ってきた!その事に誇りを持ってきただろうが!!」
「殺戮の犯罪者をこれからも守るって!?はっ、それこそ反吐が出るね!!」
「てンめ・・!!!」
「やめてくださいまし!!!」
いつもの痴話喧嘩とは違う二人の言葉が止まる。
月詠が制してなければ、歌麿は密羽をその手で殴った事だろう。
「ワタクシは10年前のあの日から、この事実を受け入れてますわ!だから、だから・・っ言いたくなどありませんでしたのに・・・っ・・!」
夜近の周りにいる密羽と歌麿。
夜近本人が罪を思い出しても、いつもと変わらぬ環境を守りたかった。
歌麿が馬鹿を言い、密羽がそれを冷たい言葉で制し、それを二人で笑う。
―――それがいつもの4人組。

守りたかったのに守れなかった。
あの日も、夜近を守れなかった。
守れなかった後で、いつも後手にまわっていたのだと知らされる。
月詠のプライドを切り捨てるかのように。

「月詠・・・・・アンタはなんで、それを知ってても夜近の事軽蔑したりしないんだい」
「軽蔑されるのはワタクシの方ですわ。夜近様にとって大事な因子をずっと隠し続けてきたのですから・・・」
「・・・・・怖かったのかい、それを知られるのが」
コクリと頷き、月詠は祠に視線を向けた。
「けれど、もう時遅しですわ・・。次に会う夜近様は、全てを思い出していますもの・・・ワタクシへの処罰も、覚悟してますわ」
―――それが、最強の花嫁に必要な覚悟。
密羽には存在しない、決意だ。
「そんなに夜近の事が好きなのかい・・・・」
どこか脱力したような面持で、密羽はため息をつく。
「アンタにとって、夜近は夜近でしかない・・・そういう事かい?」
「ワタクシは夜近様をお慕いしておりますわ。例え都市主でなくとも、ワタクシには夜近様がおられるだけで満足ですの」
花嫁という枠の中でしか月詠を見れない夜近と、夜近を都市主として見るつもりはない月詠。
どこかすれ違ってばかりだとは前々から思っていた密羽は、なんとなく理解してしまう。

「・・・不器用だね、アンタ達は」

自分の入る隙などありはしない。
だが日光は、それを知ってて尚二人の邪魔をする。単にからかっているのではないだろう、都の背後関係も踏まえた上で二人の邪魔をしているのだ。
可愛いたった一人の妹を、都の犠牲者にしたくないからこそ。―――尤も、やりすぎている感はあるが。

―――そんな頃だろうか。
今まで塞がっていた祠の大岩がゆっくりと開かれていく。地響きに近いその音を耳にし、誰もが言葉を噤んだ。そして皆の視線はその開かれていく穴に向かう。

「夜近、様・・・・」

次第にはっきりと見えてくるその影。
豪華な衣装は何かの返り血で真っ赤に染まり、何故かその手には愛用している真剣が握られていた。
はて、夜近がここに入った時―――七夕の儀の時、真剣を持っていただろうか?
だが、現に彼の左手にはいつもの真剣が握られている。
普段から整えられている蒼い髪は乱れ、その奥に眠る視線は何を見ているのか。いや、もしかしたら何も見えてないのかもしれない。いつもは凛とした瞳の奥に揺るぎない何かを潜ませていた、だが、今の夜近にはそれがなかった。
意気消沈とでも云うのか、全てを失った人間のように見える。

「・・・あれが、夜近・・?別人じゃないか・・・」

密羽の呟きは、その場にいる誰もが思った事だ。
いつもは興味のない日光ですら、そんな夜近から視線を外せないでいる。
「・・・継承の儀は無事終わったようだな。休むことなく3日も苦しみを味わい、青龍の力を取り戻したか」
知識豊富な大人は簡素に説明してくれるが、月詠達3人にとっては困惑するしかない。
威厳。
決意。
熱意。
全てを見透かす思考。
キレ者の戦略。
―――挙げればキリがないが、それらの全てが、今の夜近から全く感じ取れない。
生きる希望を見失った浮浪者のようにしか見えないのだ。
「おい・・・アレが夜近かよ・・?」
夜近の親友である歌麿ですら、戸惑っている。
全てを失くした灰色の瞳とでも云えばいいのか、その瞳に色が見えない。
フラフラ と覚束ない足取りでこちらへ向かってくるが、誰もが動けない。いや、夜近の様子を見守るので精一杯なのだ。
そして一番最初に口を開けたのは月詠だった。

「や・・・夜近様・・・」

少しだけ顎を上げ、何も見えていない瞳に月詠の狼狽する様子が映る。
そして呟くような、聞き取れない声量で夜近の口が動いた。

「・・・・お前は・・・誰、だ・・・」
「っ、・・つ、月詠ですわ」
「つく、よみ・・・・?・・・違う・・・月詠は俺が斬った・・・・・」

――― 一体祠の中で何が起こっていたのだろう。

「何度も・・・何度も・・・・斬った・・・・・それでも月詠は光を照らして・・・・」

小さな光。
なのに消えようとしない光。
その光を掴もうとすると、するりと逃げていく。
そして青龍は告げた。再び等価交換を行うと。その為に、過去に自分を照らしてくれた愛しい者を斬れと。
だが、夜近は拒否した。
斬れる筈がないと。
再び青龍は告げる。
かの者を生かしたのは何の為なのだと。
そして現れたのは、都市主が代々継いできた一本の真剣。勿論、夜近愛用の一本だ。



『あの晩、皆殺しにしたその手が怖いか?』



挑発的な青龍の言葉に、夜近は言葉を失くした。
その手に真剣を握っても、震えが止まらなかった。
脳裏に蘇る。あの晩の自分の姿が。
―――等価交換が始まろうとしている。



「夜近様・・・・?」
「・・・・軽蔑したか・・・俺を・・・・」
「そ、そんな事・・っ!寧ろ、軽蔑されるのはワタクシの方で―――
夜近の瞳から、一筋の涙が落ちる。
光を取り戻せていない筈の瞳から、まだ希望に縋りつこうとしている最後の足掻きなのか。
「あの時・・・俺は殺戮を楽しんでいた・・・・・どんな風に殺してやろうか、どうすれば最高の苦しみを与えてやれるか・・・・そんな事を考えていた・・・・」
戦闘時の密羽にも似た機械的な行為。
ただ違うのは、その時の夜近には感情があったぐらいのものか。

「何故・・・・黙っていた・・・・」

月詠にとって、一番聞かれたくない質問だった。
言葉に詰まり、何と言っていいのか分からない表情の彼女を、夜近の瞳が捉えた。
「俺が怖いか・・・・・は、当たり前か・・・・」
「ち、違いますわっ!」
「ならば何故10年も黙っていたッ!!神門の歴史を綴る書物にもこの事は記載されていなかった!!知っていたのはお前だけだ!!」
例え言った所で信じてもらえただろうか。そんな事を考え、月詠は首を振った。
「満月の夜に起きる体の不調の原因もお前だけが知っていた!!堕ちる俺の姿を楽しんでいたのか!!」
「お、落ち着いてくださいまし・・っ!夜近様、ワタクシは―――ッ!」
「夜近っ、落ち着け!」
「部外者は黙っていろ!!!」
歌麿が助けに入ろうとするが、夜近のたった一言で言葉を封じられてしまった。
「部外者、だってさ。都市主である夜近を守る前線戦士だってのに」
意外にも冷静を取り戻した密羽は呆れ返っている。
だが、二人のやりとりを見守る姿勢は変わらない。
―――そして、この男が動いた。

「この10年、誰が一番苦しんだと思っている」

かったるそうにではあるが徐に足を進ませ、ゆっくりとした動作で呉服からおろされたその拳で夜近を殴る。よほど衰弱していたのか、殴られた夜近はその場に崩れ落ちてしまった。
「あの晩の事実を思い出したなら、俺ももう隠す必要はない。あの光景を、微塵たりとも忘れぬようその目に焼き付けた、まだ7歳だった月詠を責めるのはお門違いだ。寧ろその選択を自ら選んだ事を褒めるべきだと思うがな」
「・・・都市主と花嫁では、立場も求められる責任も違う・・・・」
「ほぅ、そうくるか。あの晩、極限の恐怖と対峙した月詠が、それでもこの10年お前だけを想い続けてきた意味すら侮辱に値すると?」
くっ と喉が笑う。いや、夜近を見下す笑いだ。
「若干7歳の都市主様のご乱心。俺はその事実を公表してもいいんだぞ?」
「脅迫ですか」
「脅迫?はっ、事実だろう?今まで何故隠し続けてきてやったのか、貴様は恩を覚えるべきだ」
さすがは大人の悪知恵だろうか、日光は逃げ道を与えない。
そして腰を屈ませ夜近の胸倉を掴み、視線を絡ませた。
「いきなり空白の過去を埋められて混乱しているのは分かっているつもりだ。だが、その過去はお前だけのものではないと知れ」
「俺だけの・・・・・?」
「その過去を共有した月詠という存在をお前は何だと思っている。今一度考えなおせ。その過去を救ったのは誰だ?その過去をお前だけのモノにしなかったのは誰だ?その過去すら含めてお前の隣を歩いてきたのは誰だ?」
「・・・それ、は・・・・・ですが・・・・」
「青龍が提示した試練は過酷なものだったのだろう?この返り血を見れば一目瞭然だ」

恐らく、月詠を斬った痕跡なのだろう。
何度も。
何度も何度も。
何度も何度も何度も、月詠を斬った。
あの小さくも決して消えはしない光を。
その光が当時の夜近を救った。だが、罪を思い出すには排除しなければならない存在。

躊躇った。
躊躇した。
迷った。
困惑した。
体中が震えた。
剣を握る手さえも怖れた。
―――怖かった。

可愛い声で「やこんさま」と呼んでくれる微笑みを、困惑の中で何度も斬り続けた。
だが、青龍はまだ許してはくれなかった。
休む暇すら与えてくれなかった。

「・・・怖、かった・・んだ・・・・・・他の誰を斬れても、月詠だけは・・・・斬りたくなどなかった・・・っ」

夜近の眉が変形し、光を取り戻しつつある瞳は視界を揺らした。
それを確認してから、日光はようやく夜近の胸倉を掴む腕を解放する。
「何体斬った」
「覚えてなど・・・いない・・・っ・・・・俺の名を呼んで、可愛く笑って、無抵抗で、暗闇の中で光を照らして・・・・っ・・・・・・」
最初は幻だと思った。
だが、斬る時の質感、感度、何よりもその返り血が本物だと思わせるに十分な材料になった。
斬れば斬る程に、恐怖感が募っていく。
足元は血の海、転がるのは無数の骸。
血で染まる短冊。
―――あの晩を再現したのだ、青龍は。


殺せばいい。
殺せば何も残らない。
そう、殺してしまえばいいんだ。


あの晩の自分の思考が邪魔をする。
重なる。
10年前の夜と。



「夜近様・・・・」
「許して、くれ・・・・、月詠・・・っ・・・」
立ち上がる術すら忘れたのか、夜近はただその場に蹲って許しを乞う。
大粒の涙が次から次に流れ落ちるが、そんなものはどうでもいいとばかりに、ただ月詠を想った。そして月詠は、そんな夜近を包み込むかのように彼を頭から抱きしめる。
「夜近様は何も悪くなどありませんわ。ほんの少し、肩の力を抜く事を知らなかっただけですわ」
「それでも俺は、この手で・・・っ」
「分っておりますわ。あの日の過去は決して消えはしない出来事。けれど、それでもワタクシは生きております。夜近様がいるから、生きておりますの」

夜近がいるから自分がいる。
夜近がいなければ自分はいない。
だが、理由もなく殺された人達の魂はどこへ帰るのだろう。
―――きっと、その答えはどこにも存在しない。
背負うべき懺悔が増えただけだ。

「っ、月詠・・・っ、今だけは・・・・、今だけは・・っ、情けない姿を許してくれ・・・・っ・・・!」
「夜近様・・・」

夜近を優しく抱きしめる月詠の背中に、逞しい両腕が回される。そして渾身の力で思いっきり抱きしめられ―――いや、縋っているのだろう。

――― 一人が怖いから。

「ううぅ・・・っっ・・・!!」

角度的に見えはしないが、泣いている。
あの夜近が、声を殺して泣いている。
そして月詠は、その許しを乞う姿を隠すかのように慈愛の感情で優しく包み込む。
「大丈夫ですわ、夜近様。月詠はここにおります・・・」
「お前の書いた短冊も・・っ!俺は・・・っ!」



あの時吊るした短冊の内容も思い出した。
彼女が毎年同じ内容を願う短冊。


『夜近様が幸せでありますように』


都市主は己だけの願いを持ってはならない。けれども、そんな彼の幸せを願う者がいたのだ。
何故忘れていたのだろう。
毎年七夕を迎える度に月詠はいつも同じ内容を短冊に祈っていた。
その内容を見ては、『自分の願いを書かないのか?』と尋ねた事もある。
歳相応なのだから、もっと個人的な願いがあるだろうに―――それでも月詠は微笑んでは言う。
これがワタクシの願いなのです、と。
花嫁だからか?と尋ねると、笑顔で首を振り、これ以上の願いはありませんと。
きっと、10年前の事実を知っていようと知っていまいと、彼女は毎年同じ内容を書いたかもしれない。けれども、その短冊は毎年血で汚された。
あの日の真実を知った今だからこそ分かる。
毎年、自分は彼女の願いを血で染めていたのだと。




13





翌日の登校時間。
いつも通り、4人は公園で合流して学校に向かう。
なるべく昨夜の話題に触れないよう、そんな緊迫感は残っているものの、歌麿と密羽はいつも通り夜近を迎え入れてくれた。そんな夜近はといえば、まだ元気を取り戻していない。これはまぁ時間の問題なのかもしれないが、それに比例するかのように、周囲は必要以上に元気に振る舞っている。
そして意を決したのか、密羽が小声で夜近に話しかけた。

「アンタに謝らなくちゃならない事がある」
「?なんだ、いきなり」
「昨夜、アタシはアンタを殺戮者扱いして歌麿と喧嘩したんだ」
「・・・・・・そうだな、当然だろう」
「でもアンタは違うんだ。アタシら隠密一族の葛葉は、邪魔だと判断した人間を闇から闇に葬る部隊が存在する。アンタに比べれば、こっちの方が余程人を殺してるんだ」
「その判断は俺が行っている。殺人者扱いされても当然だ、謝る必要はない」
「そうじゃなくて―――
意外にも言葉を選ぶ密羽が、何と言えばいいのか困っている。
そして更に意外な事に、聞き耳を立てていた歌麿が笑いながら加勢した。
「ばぁか。夜近が人殺しってんなら、俺達は魔物殺しの重罪人だろーが。言い方が魔物から人間に変わっただけで、不都合なんざねーだろ」
この楽天的思考を、今だけは感謝する密羽だ。
「でも、本当に悪かったと思ってる。これからもアンタを守り続けていく事に不快感を抱いたんだ、だからちゃんと謝りたかっただけで」
「気にするな」
どこか和らげな笑みで、夜近は密羽の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「ちょ、何すんのさっ」
「おっ。楽しそうじゃねーか。俺にもやらせろ」
歌麿まで密羽の頭をぐじゃぐじゃに撫でる。
「まぁ〜、楽しそうな事してますわね〜〜。ワタクシも〜〜〜」
「怒るよ、月詠っ」
「ワタクシだけ仲間はずれだなんて寂しいですわ〜〜」
だが、如何せん月詠の事、背が足りなくて密羽の頭に手が届かない。
「うう〜〜〜〜」
「そこは泣く所じゃないだろっ!」
「だって〜〜、ワタクシだって密羽ちゃんの頭を撫でたいですわ〜〜〜」
ぐじゃぐじゃに乱れた髪を丁寧に直しながら、密羽はため息をつく。それを見ては歌麿が笑い転げており、夜近は少し笑みを取り戻したようだ。

「気遣わせてすまんな。だが、青龍の力は取り戻した。これからの仕事は更にハードになるだろうが、ついてきてくれるか」

勿論、といった覚悟を3人は表し、それぞれに顔を合わせた。

「そうそう、そういや聞きたかったんだけどよ」
「なんだ、歌麿」
「青龍の力取り戻したって言うけどよ、具体的にどうなんだよ?体が重くなるとか、そんな感じか?」
「いや、私生活になんら問題はない。ただ、有り余る自分の力を自覚できるぐらいのものだ」
「暴れんのだけは勘弁だよ。アンタを抑えるなんてアタシには無理だからさ」
「そこは制御しているさ。ま、修行の一環だと思っている」
体内に収まりきらない力なのだろう、精神コントロールで巧く制御しているらしいが、それを放つ時がきたらどうなるのだろう。想像したくもないが、また血の雨でも降りそうだ。

「じゃぁ既成事実実行の機会も減りそうですわね〜〜〜」
「・・・・・・・・」

月詠の放った、たった一言の呟きに石のように固まる夜近。
「時と場所を選ぶんだよ、月詠」
「もちろんですわ〜〜、密羽ちゃん〜〜。これでもモラルはありますもの〜〜」
既成事実云々からしてモラルなどないように思えてならない夜近だ。いや、密羽の助言も間違っている。
「夜近、そん時ゃ青龍の力使えよな」
「そうする・・・・・」




いつもと変わらない面子。
いつもと変わらない雑談。
いつもと変わらない登校風景。
いつもと変わらない仲間。




きっと来年の七夕からは、自分だけの願いを書けるだろう。
そう教えてくれた仲間たちがいるから。


―――しかし、この後夜近は疲労を目の当たりにする事となる。
3日も休めば生徒会長の机の上は未処理の書類の山。
昼までには終わらせてくださいと無茶な要求を口にする副会長。
特に、七夕の舞台が失敗に終わっただけにその処理も限界を超える。

「中でも特に、七夕の演目が期待されていただけに再度要求の声が多いようですよ、会長」
「・・・そうだな、スケジュールを合わせてやり直すか」
「意外ですね、てっきり反対されるかと思ってましたが」

本当に意外そうな顔で、盈祁副会長は目をぱちくりさせている。



―――やり直そう。七夕を。



第弐章・第4話『夜近の章・失くした記憶/覚醒の時』/ back / 10.08.29END

これにて第4話終了です。
2話よりも長く感じたのはワタクシだけでしょうか(苦笑)
この第4話については言いたいことが沢山ありますが、著者としての解釈よりも、読み手の方がどう感じ取って頂けたか、に委ねる事にしました。
相変わらず不器用な夜近ですが、月詠への想いは確かにあります。肩書きがそれを邪魔してるだけです。

やっぱり夜近と日光のやりとりが書いていて一番楽しいですね。




> 第弐章・第4話『夜近の章・失くした記憶/覚醒の時』/

 

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